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特徴

2011
Issue 39
Riding an Icon: Mt. Fuji
By Yuske Hirota

Riding an Icon: Mt. Fuji
By Yusuke Hirota

日本の観光大使ともいうべき存在、富士山。絵はがきや観光用のポスターに写る富士山は、必ずといっていいほど雪を纏っている。だが、ツーリストとして日本に訪れた際、実際にみんなが頭に思い描くような雪をまとう富士山を拝める季節は、11月後半~5月後半までの、約半年の間だけだ。運良く雪をまとった典型的な富士山が見えた時、一体どれだけの人が「あそこを滑りたい」と思うだろうか? 雪がついていれば、「あそこは滑れるかな?」と思い、山があれば、「ここに雪がついたらいい滑りができるだろうな」と思ってしまうのは、我らバックカントリー・ライダーの宿命である。

富士山の初登頂は5世紀の聖徳太子や6世紀の役行者などの神話の世界で諸説が入り乱れての話になるのだが、では、この神聖な山でスキーをしようと考えた最初の不届き者(僕ら日本のバックカントリー・ライダーの直接の祖先)は誰か? 

答えは明治時代へさかのぼる。日本へのスキー技術の伝道師ともいわれる、オーストラリア・ハンガリー帝国のレルヒ少佐である。

彼の直接の来日の目的は、日露戦争における日本の勝利のナゾを解き明かすこと。つまり当時の大国ロシアをなぜ極東の小国が破ったのか、その勝因を探ることだった。しかし滞在1年半の間に豊富なパウダー・スノーに魅せられたのだろうか、彼は日本各地のピークに登り、シュプールを残した。そして、富士山には明治44年4月に訪れ、山頂直下3600m付近から滑降に成功したのである。



時代は下り、完全なる3776mの剣が峰からの滑降は、大正14年3月、日本百名山を著したことで知られる深田久弥らによって試みられた。現代と比べてとても貧弱な道具を使用し、なおかつ麓から登られたこれら黎明期のレジェンド・スキーヤーたちの情熱と努力には、頭が下がるばかりだ。

現代に生きる僕らが富士山を滑りたいと思った時、はたして何月が最適なのだろう。頭に思い描く典型的な富士山の季節は11月後半~5月後半までの約半年の間。その間、スキーに適した時期はいつなのだろうか?

太平洋側に位置する富士山は、冬季、比較的晴天の確率が高い。パウダースキーで有名な本州の白馬や北海道のニセコなど日本の主要なスキー・リゾートに雪が降る気圧配置は、いわゆる西高東低の気圧配置だが、この時、往々にして富士山は快晴になる。同時に山頂付近は強い北西風の影響をうけ、新雪は飛ばされ、スロープは風に叩かれ氷に覆われる。厳冬期に山頂からスキーをすることは不可能である、とまではいわないが、登頂するだけでも困難で、ましてやアイスバーン上の滑降はリスクが高すぎる。平均斜度35度のスケートリンクを想像して欲しい。スキー本来の目的である「楽しみ」を求めることはできないと言えるだろう。

冨士山の女神・木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)が長い冬の眠りから目を覚ますのは、4月といえる。ただ、美人で知られる冨士の女神は寝起きがとても悪く、4月といえども、突如として怒りの突風を吹きさらし、真冬並の寒気をもたらし、それまで春の陽気だったコーン・スノーのスロープは一瞬にしてアイス・スケートリンクに豹変する。4月はまだ気がぬけないのだ。一般的にいって天気が安定し、粗目雪の登山やバックカントリー滑降を楽しめるのは南面では4月下旬以降、北面では5月初旬以降といえる。



「富士山でのスキーは禁止されているのでは?」と思う人もいるかもしれないが、厳密にいうと法的な規制は存在しない。ただ、バックカントリー・スキーを含む登山を行う際には、登山口を管轄する警察署への登山届け(計画書)提出を忘れてはいけない。この登山届けに法的な義務はないものの、登山者が遭難した場合や救助を要請した場合、レスキューをスピーディーかつ安全に行う上での材料となる。警察あるいはボランティアの地元山岳会の方々で構成されるレスキューチームにとって、提出された計画書がなければ捜索が困難になり、自らを危険にさらすことにもなるのだ。

登山計画書の提出は最低限のマナーであり、リスク・マネジメントの一環なのである。もちろん最悪の事態に備えてのこと。そして、リスクの高いコンディションでは挑戦するべきではないことは当然だ。

言うまでもないが、富士山での滑走はスキー場でのスキーとは異なる。残念ながらツーリストがひょっこりきて、レンタル・スキーとレンタル・ブーツで登頂&滑降というわけにはいかないのだ。登頂にはアイゼン、ピッケルなど基本的な山岳スキルが必要だし、天候の判断、雪崩へのリスク・マネジメント、必要になる技術や装備も多岐にわたる。

特に天候の判断は重要だ。



気温が低く、曇天や風の強い日は避けるほうが無難。凍結した粗目雪に、シーズン終わりに丸まってしまったスキー・エッジは歯がたたないだろう。一端エッジが外れてしまえば1000m近い標高差を滑落することになり、毎年のように山岳スキーヤーが命を落とす。

登頂と滑降には風のない晴天の日がベストといえるが、そうそう良いコンディションはめぐってこない。もし山頂からの滑降をのぞむのならば、遅くとも正午までには登頂し、斜面が日陰になる前に滑降を開始しよう。凍結した粗目雪が融解し、スキーのエッジが雪面をとらえ、快適に安全に滑降が楽しめるチャンスは一日のうちでも数時間しかないのだ。
ただ、こうした条件を乗り越えて、山頂に立ち、五合目まで標高差1700mの広大な斜面を眼下にした時の気持ちを想像して欲しい。

南面にドロップすれば駿河湾・太平洋へダイブする気分だし、北面では吉田大沢の荒々しい岩壁の間を滑降することになる。正しいコンディションをつかめば、深く、ドライな粗目雪のスキーイングにもなる。

ちなみに、素晴らしい粗目雪が発達する条件は、夜間には氷点下になり、夜間と日中の温度差が激しく、湿度が低いことが条件だ。



標高が高い富士山では、5月でも五合目以上は氷点下になる。夜間や低温時に凍結した雪は、日中の春の日差しを受け融解し、また夜間に凍結を繰り返す。こうして粒の大きな粗目雪が形成され、深さを増していく。春は春でパウダースキーとは違う楽しみが生まれるのだ。

そして、この絶好の条件での粗目雪を当てることは、絶好の条件のパウダーを当てることよりも難しいとされている。良いコンディションで富士山を滑ることには、それなりの価値があるということだ。

その昔、日本にスキーが伝わった頃、スキー場というものがまだ日本に存在しなかった頃、スキーというものは山スキー以外にはなかった。レルヒ少佐や深田久弥が富士山を眺めた際に思ったであろう、その衝動を、100年近くたった今、雪が降るかぎり、昔と変わらず雪を纏った富士山という神聖な山を眺めた際にも、僕らは感じることができるのだ。