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特徴

2010
Issue 32
ハイ・フライング・テレマーカー
By Bill Ross

FACES IN THE CROWD


初めて会った稲垣勝範はゆっくり、やさしく、言葉も選んで話し、地味な色で目立たないアウトドアぽい服装をし、とても控えめな印象を残した。しかし話題がスキーになると、急に生き生きとする。スロープに立ったときには、色鮮やかなチェック柄か水玉模様のパンツをはき、同じく派手なジャケット着、ガールフレンドが編んだカラフルなハットをかぶっていて、まるで違う人のようにさえ思わせた。そして爆発的なジャンプを繰り返し、叫びながら長いスロープを駆け抜け降りていくのだ。確かに回りの皆が口を開け見入ってしまう、人の目を引くタイプのスキーヤーである。しかも踵を浮かせたまま滑るスキーをつけて、どこでも滑ってしまうのだ。

稲垣はテレマークスキーヤーなのだ。そしてこの古いスタイルのスキーの熟練者であり、テレマークスキーを現代風にしようと努力している人物だ。テレマークスキーとは、アルペンスキーに似ているが、つま先だけが固定されるビンディングが付いており、基本的にはブーツの後ろまで伸びるケーブルのあるスキーである。

したがって、ターンをするとき、外側の足は普通だが、内側は踵を上げて跪くように曲げてやる。うまくいくと、とてもスムースでエレガントな印象を残すことができる。稲垣がジャンプ、スライド、ターン、グラブなどをやったように、フリースタイルスキーで可能なトリックは何でも組み合わせることができる。

30歳にさしかかった稲垣は、このスポーツの頂点を極め、テレマークスキー界ではこれ以上有名になれないというほどに知られている人物だ。アトミック、ガーモント、コロンビアスポーツ、スミスオプティック、ヘストラという有名ブランドのスポンサーを持ち、日本のスキーマガジン、ビデオ、カタログなどに多く登場している。

昨年の「てれまくり」(日本最大のテレマークスキーイベント)でも稲垣はポスターに起用されたり、スロープでデモンストレーションをしたりと大活躍だった。でもスキーだけでは生活していけず、夏は南半球まで雪を追いかけたりすることなく、ゴルフ場で芝管理のバイトをしている。彼は日本のスキーバムの良い例であり、日本を代表するテレマークスキースキーヤーなのだ。

横浜出身の典型的な都会っ子で、週末だけスキーをして稲垣は育った。そして友人が大学へ進学を決める中、彼はもっと自由な決断をした。正確には自分の進路について何も決めなかったのだ。

「何をしようか考えていて」と彼は言う。「その頃はモーグルに夢中でそればっかりやっていた。そして長野オリンピックが開催されたこともあって、スキーのことばかり考えていました」

当時は自由が丘のSOSで働いていて、今はボトムラインを経営している田畑智之氏と出会う。この出会いをきっかけに田畑はテレマークスキーを始めることになる。「彼がその冬スキーに行くっていってたから、俺はスイスのザーマットにいるから来いよと言ったんです」と田畑は言う。「誰か知っている人がいるほうがいいでしょ」と。

1996年にヨーロッパへ行って以来、田畑が若いスキーヤーにしていることがある。それはテレマークスキーを紹介することだ。「僕がテレマークスキーを始めたばかりの頃、稲垣君はモーグルだけやっていたんだけど、テレマークにも興味をもったようだったね」と田畑は語る。

「クロスカントリーじゃなく、スノーボードでもない。それくらいしかテレマークについては知らなかった」と稲垣は言う。そして身長約170cmの彼は使い古したビンディングがついた2メートルのスキーを手に入れる。

「ザーマットには一ヶ月滞在したんだけど、ちょうど着いてすぐに店の外に捨ててあったレザーブーツを見つけたんだ」

「多分捨ててあったんだと思うよ」と彼は笑う。「ちょっとサイズが小さかったんだけど2〜3回使ったかな。そうしてプラスチックブーツに替えたんだ。その頃プラスチックブーツが多く使われていたからね」

当時スキーは長く真っ直ぐで、ブーツはグニャグニャと柔らかかった。稲垣も例外無くテレマーク初心者が経験することをした。「まったく滑れなかった」と彼は笑う。「ターンはできないし、本も売っていないし困ってたね。だからスロープでテレマーキングをしているスウェーデン人たちがどうやるかを見て覚えたんだ」

衝撃的な出来事は、稲垣がセス・モリソンという有名なスキーやがザーマットを滑降するビデオを見たときだ。「モリソンがきれいなラインを描いて滑り、雪庇をヒットしたんだ」

「そうしたらもう一人マーク・ピーターソンと言う人が現れて、同じラインをテレマークで描いて滑っていった。“これがテレマークだ”みたいな滑りで本当にカッコいいと思った。このスキーであんなジャンプができるのかと思ったな」

こうして稲垣のテレマーク中毒が始まった。

その後の5年間は、夏のバイトでお金をため、冬はスキーだけして質素に暮らすという生活を繰り返した。「ザーマットで5シーズン過ごしたけど、みんなが英語を話すのでドイツ語は覚えなかった。旅行者の行くバーは高くて行けなかったけど、スキーバムが行くバーはビールが180円ぐらいに安かった。おかげでビールを注文したりして、スキーについて話すくらいには英語ができるようになったんだ」

ザーマットで2回目のシーズンを過ごしたとき、お金はきつかったものの、テレマークのビンディングのついた新しいスキーを買った。以降、昨年まで稲垣はアルペンスキーをすることは無かった稲垣は、「テレマークスキーはだんだん注目を浴びてきていて、パウダーでテレマークするほうがもっと面白かった」と言う。

「みんながスキーに行くとき、僕も彼らと一緒に行ったんだ。最初にヨーロッパに行ったときはモーグルのことしか頭になかったけど、テレマークに変更してからは、フラットなセクション、こぶ、パウダー、林間ルートなどどこでも滑るのが楽しくなった。そして前日にうまく滑れなかった場所を翌日にはできるようになったり、毎日上達していったんだ」

ザーマットで知り合いになったスウェーデン人の一人、ジョン・ウィルヘルムソンも同じだった。

「彼は元プロスキーヤーだったけど、もう体にガタがきていて、写真家に変更したんだ」

ジョンは稲垣に滑走姿を撮影しないか誘ってくれた。そしてその写真は今でもジョンのサイトに掲載されている(残念ながらジョンは2006年に雪崩事故で亡くなった)。

帰国したとき、この写真がきっかけで稲垣の存在はだんだん日本でも知られるようになった。「ある地点で、自分はテレマークをやる方が、アルペンより可能性があることに気がついたんだ」と稲垣は振り返る。

「テレマークのほうが簡単だった。それから、最初の頃は岩手県の八幡平で働いて、春にザーマットへ行った。レイトシーズンをヨーロッパで過ごす前に、ニセコと妙高へ行ったりもした。いろいろ努力して雑誌に取り上げてもらい、スポンサーがつき始めて、カタログの仕事やイベントにも招かれるようになったんだ」

国内のテレマークの歴史の中で、稲垣は最高のタイミングで注目され始めたと言っていい。2000年頃、“Unparalleled”というテレマークだけのビデオシリーズがアメリカから日本にやってきて、以前のテレマークスキーのイメージが国内でも完璧に変わったのだ。

もう、セーターなんか着たヒッピー連中が、膝を深く曲げておぼつかないターンを細いスキーでおこなうテレマークのイメージは終わった。新しいテレマークスキーヤーは、でっかいブーツを履き、幅広のクールなスキーで、アルペンスキーヤーやスノーボーダーが行く所はどこでも行けるユニークでカッコいいスポーツになったのだ。

さらにビデオを見た人のなかには、テレマークはアルパインスキーと同様、フリースタイルやエアリアルも可能だと知り、またブーツの踵が上がるスキーなんて面白そうと興味を持つ人が含まれていた。

高梨“ナッシー”穣、 永島“ヒデ”秀之など“Unparalleled”に参加したスキーヤー、少し若い久我博道の3人はテレマークスキーのマスターだ。特に久我は雑誌や広告によくでている。しかし彼らは40歳前後になりつつある。

最近では多くの人が平瀬真登を注目すべき人として名を上げる。彼はハイ・フライングを得意とした20代のフリースタイルテレマーキングスキーヤーだ。まだ他にも多く素晴らしいスキーヤーが国内にいる。稲垣は派手なルックスとエアリアルで、この注目されるスポーツに新境地を開いた。しかし5年前に比べると、雰囲気は幾分落ち着いてきたといえるだろう。

「数年前ならニセコや妙高でしかうまいテレマーカーを見かけることはなくて、本当に珍しい存在だった。でも今は普通になっている」と田畑はいう。「テレマーカーを見ても驚きなどないし、テレマークスキーを始める人が増えている」のだと。

「でもいまだに多くの人がテレマークスキーというと、膝を深く曲げて滑り、きつそうだと思っている。きついのは確か。だけど現代のテレマークスキーは体を起こして滑るので膝に負担をかけないのに、それを知らずにやろうとも思わない人が多いと思う」

稲垣はできるだけテレマーク普及に貢献したいと思っている。

「いつもテレマークの面白さをスノーボーダーやスキーヤーに知ってほしいと思っている。アトミックがスキーをレンタルという形で提供してくれ、スキーを買うとレッスンが1回受けられるというパッケージを作ったんだ。それで2年前から、スクールではないけど、妙高を中心にレッスンをやっているんだ」

「僕はレースにもバックカントリーにも興味はない。そういうイメージを作るつもりはない」という彼のカラフルな服装はここから来るのだろう。「もっと大胆でエキサイティングなことがしたいんだ。だからそういうイメージを持ちたい」と彼は続ける。

「スキーやスノーボードをするなら、誰だってジャンプしたいでしょ。それってアクションが欲しいということだと思う。エキサイティングなことをするときに、エキサイティングな格好をするのは普通のこと。僕はこれをザーマットで学んだんだ。だから日本でも同じように行動したいんだよね」