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特徴

2008
Issue 22
OJ Interview: Steve House
By Naoya Suzuki

毎年、大勢の登山家が、世界の頂点であるエベレストに挑戦する今日。パイオニア的存在であるハードコアなクライマーは、今でも危険な未登の山々を挑戦し続けている。もしそのハードコアのクライマーの中で、一人のリーダーを選ぶとするとスティーブ・ハウス、彼が選ばれるだろう。
 

 「スティーブ・ハウスが来日しているんだ。一緒に横浜に行かないか?」
本誌編集長であるガードナーからのメッセージが携帯に残されていた。気持ちはすでに興奮状態であった。スティーブ・ハウスの存在は、僕が米国のコロラド州に住んでいた頃に聞いていた。山岳ガイドであり、クライマーである彼のことは、全米中のクライマーの誰もが知っている存在だ。友人から、車を売りたいというビンス・アンダーソンというクライマーを紹介されたことがあった。僕は、彼から車の購入を考えた。その彼が、スティーブ・ハウスのクライミングパートナーであったことを最近知った。どの国でもクライミング・コミュニティーは非常に狭いものである。

僕らは横浜で行われたパタゴニアの展示会会場へと向かった。会場でスティーブの姿を見つける事は、僕らにとって非常に簡単であった。パタゴニアのアンバセダーである彼が日本の小売店スタッフに、新しいデザインのジャケットの説明をしている。彼を見ていると、不思議と僕がコロラドのボルダーで過ごした時代を思い出した。10年以上ものあいだ、僕がともに過ごしたボルダーのクライマーたちは、非常に印象的でソフトな話し方をするが、堂々とした存在で回りを魅了する。スティーブからも、そんな印象を受けるのであった。一歩一歩の歩き方から、彼の存在の大きさを感じ、まるで何をするにも恐れない。いよいよ、そんな彼との対面である。
ロビーにあるベンチで僕たち3人は座り、インタビューの準備をした。スティーブとガードナーは偶然にも同世代であり、スティーブはガードナーの母親が生まれ育ったオレゴン州にある小さな町、ラグラード出身であった。今回の旅で、スティーブの母親が同伴していて、その母親がガードナーの母親の共通の知人を知っていたようだ。こんな狭い世の中と知ったスティーブは、ほんの一瞬だけ母国にいるような感じがしたに違いない。

世界のトップ・アルピニスト、スティーブ・ハウスがここにいる。この素晴らしい機会を思う存分満喫するために、彼の魅力に迫った。スティーブにとってのクライミングとは一体何なのか?
スティーブ、あなたのバックグラウンドについて簡単に教えてください。どのようなきっかけで、クライミングを始めたのでしょうか?

米国・オレゴン州で生まれ育ったんだ。クライミングやスキーも、その頃に始めたんだよ。7歳ぐらいかな? 両親から教わっただ。10代になると、ノルディックスキーのレースにも熱中したね。生まれ育ったオレゴンは豊かな森があり、山頂付近の樹木限界を超えた野原でスキーが楽しめた。冬になるととても寒くて、たくさんの雪が降るんだ。

高校から大学へ入学する間の1988年には、交換留学生としてスロベニアで1年間を過ごした。始めの数ヶ月は、クライミングとスロベニア語の勉強に集中し ていたね。スロベニアにはクライミング文化があって、国営新聞のスポーツ面の表紙では、毎週月曜日になると週末のクライミング・ルートの状態が掲載されて いるぐらいなんだ。

今までに、もっとも印象に残る登頂を教えてください。
2005年のナンガパルパット(8125m 世界で9番目の高峰)だろうね。あとは2004年に行ったK7(6934m)の単独登頂。でも、90年代に登ったカナディアン・ロッキーやアラスカのクライミングも思い出深い。アラスカでの登攀は、つねにクライミングのスタイルにこだわっていた。軽い荷物で、素早く登ることを重視したんだ。
マッキンリーは、K7を単独登頂するために必要な知識を与えてくれた場所だ。カナディアンロッキーでは、とてもテクニカルで危険なクライミングをした。ナンガパルパットは、僕の知るすべての知識を総合的に試されたクライミングだったよ。

あなたは伝統的なクライミングスタイルを重視していると言っていました。それに山にはゴミとなる装備を残さずに下山すると。この事について教えてください。

つねに僕の頭の中にある事だ。過去に2度、大きな遠征隊に参加したときにフィックスロープを使ったんだ。その時に思ったんだ。フィックスロープは登攀が終わった後に回収すべきだってね。これは当然のことであって、山には何も残さないことは僕が生まれ育ったオレゴンで、家族とともに経験したハイキングや釣り、クライミングをしているときに学んだことなんだ。自然をそのままにして去る。ボーイスカウトでも学ぶことだよね。

ガイド業の仕事とプロクライマーの違いとは、どこにあるのでしょう?

僕にとって、それはまったく違うんだ。同じ自然環境のなかで繰り広げられるものだけど、僕はガイド以外にも様々なチャンスをもらっている。そのため、以前と違い、ほとんどガイドはしていないんだ。でも、遠征やその他の仕事で、ガイドの時間が持てないのも現実なんだ。海外のガイドも殆どしてない。ガイドをしていた当時は、アラスカを始め、各州でアイスクライミングなんかを教えていたんだ。

世界中の山を登っているけど、テラボン(オレゴン州の街)を拠点にするのは、なにか理由はあるのですか?


たくさんの理由があるよ。テラボンはとっても良い街さ。素晴らしいクライミングエリアに簡単に行ける。スミスロック国立公園が有名だよね。それに、簡単に空港へアクセスが出来る。だから、どこでもすぐに飛んで行けるんだ。

どんなクライマーに影響されて、今のあなたがあるのでしょう?


ハウス レイナルド・メスナーやウォルター・ボナッティからの影響は強いね。一番尊敬するクライマーは、オーストリア出身のハーマン・ブー。彼がナンガ パルパットの初登者だね。彼が書いた『Nanga Parbat Pilgrimage』は、みんなに読んで欲しい本だ。

一般人のクライマーと、プロフェッショナルのクライマーの違いはなんでしょう?

僕を知っている人たちは、僕をプロクライマーと思っているでしょう? でも、違う。僕は、ただのクライマーなんだ。クライマーとして生計を立てている基礎はスポンサーだ。彼らは旅費や遠征費をサポートしてくれるが、僕をプロクライマーだと思っている人々は何でも好きなところで登って、いつでも現金が得られると思っている。でも、それは大きな誤解なんだ。僕はいつも、スポンサーのために仕事をしている。事実、今日本にいるのも仕事で来ていて、打ち合わせなどをして日々を過ごしている。

クライマーが一生に一度は登るべき山は何ですか?

そうだな、アラスカのマッキンリーかな? 知ってのとおり、北米で一番高い山だ。

それはどうして? なぜ、あなたにとって特別なのでしょう?

なにが特別かというと、登るルートだろうね。アルパインクライミングも含め、クライミングに必要なすべての知識を必要とするからだ。マッキンリーは大きくて、寒さが厳しい。ルートも長い。一般のクライマーが想像を絶するほどに難しく、過酷だ。アラスカへ行くとすると突然、想像も絶するほどの大きな自然に遭遇する。それは素晴らしい経験だね。

初めてのマッキンリーは、いつだったのでしょう?

初めてマッキンリーを登ろうと考えたのは1992年。その時は登頂できなかったんだ。まだまだ、未熟者だったんだ。でも、そこで学んだことを活かし、知識と経験を増やして、再びマッキンリーに挑んだ。

現在考えている、夢のクライミングといえばなんでしょう?

たくさんあり過ぎて分からないよ(笑)。今年の9月、パートナーと一緒にマカルー峰(8462m)を登ろうと計画しています。マカルーはネパールと中国の国境にある、世界で5番目に高い山だ。

これからクライミングを始めたい人々へのアドバイスはありますか?

とにかく楽しむことかな。それに、興味を持った場所で挑戦することが大切だよね。スポーツクライミングからでもいい。高度な技術をあまり必要としない雪山もいい。興味の対象は、人それぞれ違うからね。

日本の登山家について、どう評価しますか?

真っ先に思う日本の登山家は、昔も今もとても冒険家だということかな。とくにヒマラヤではね。彼ら自身が思う以上に、素晴らしい開拓をしたと思う。日本人登山家たちの印象は、とても謙虚だ。それは、きっと日本の文化から来ているんだと思うけど、これまでで何人かの日本人登山家にアラスカやヒマラヤで会ったけど、みんな難易度が非常に高いルートに挑戦している。今の世代の日本人登山家は、非常に強いと思う。

日本で何かしたいことがありますか?


冬期クライミングが素晴らしいと聞いたから、ぜひ登ってみたい。それとスポーツクライミング。あとは、やっぱり日本食が最高だよ。仕事で今回は日本に来たけど、日本食を食べることがひとつのメインイベントだね。

あなたは何をするのが一番好きなんでしょう。スキーですか、それともロッククライミング。アルパインクライミングでしょうか?

アルパインクライミングだね。もちろん、ロッククライミングをしたいときもあるけれど、僕の情熱はアルピニズム、アルパインにある。ロッククライミングよりに、アルパインクライミングにセンスがあると思っているんだ。

いつ頃からプロクライマーになろうと思ったのでしょう。


僕は自分が高いレベルでクライミングが出来ている以上、そのレベルを維持して登っていきたい。それがどこまで続くのかに挑戦したいね。ある日、人生のなかでアルパインクライマーとして、どこまでレベルを極めることが出来るかに挑戦したいと思い始めた。支えてくれるスポンサーなどがミッションを与えるが、究極のレベルがどこまで行けるかが僕のミッションだ。それ以外の目標は、すべて捨てたんだ。

世の中を見るには、ふたつの道がある。ひとつは、たくさんの物事を、とにかく色々学び経験する。もうひとつは、少ない事を深く学び経験する。僕は後者に自分を置いてきた。幸運にも、育った場所で様々な経験ができた。カヤックにフライフィッシング、スキー、たくさんのアウトドアスポーツに挑戦できた。20代の頃、何かひとつの事を極めてみようと思い始めた。そんな経験が人生のなかで、素晴らしい道をつくってくれたんだ。(鈴木直也)