>  屋外日本雑誌  >  Issue 22 : 5月/6月 2008  > 特徴 >  Three Canadians, Three Japanese, Three Kayaks

特徴

2008
Issue 22
Three Canadians, Three Japanese, Three Kayaks
By Doug Simpson

過去20年間、毎年日本を訪れている。だが、今回の旅は、これまでのものとまったく違っていた。九州南端からカヤックで出発、台湾を目指すというものだった。僕らが横断しようとしている海のごとく、計画は変更せざるをえなかった。今回の旅で、ぼくは予想できないことが起こるものだと、今一度学んだ。

「夕日の夜は、船乗りの喜び!」

本島4島の最南端である佐多岬で、一週間をキャンプ過ごしていた。カテゴリー5に分類される猛烈な台風15号の影響で、暴風に見舞われていた。佐多岬から鹿児島湾越しに開聞岳を眺めると、夕焼けがでていた。幸先がいいことを願う。

ぼくらは3人のカナダ人と、3人の日本人のグループだ。大瀬志郎は力持ちで、固い意思の持ち主。そのうえ、笑顔がやさしい男だ。彼に何かを頼むと、物事はすべてが順調に運ぶ。そして、最高のカヤッカーであり、リーダーに成長していったのをぼくは長い時間を通じて見てきた。

仲村忠明は日本で「カヤック界の禅僧」と呼ばれている男だ。沖縄の海と、海洋生物の知識にはいつも感心させられる。彼が海に潜ると、いつもスノーケルとヤリで魚を捕まえてくる。

もう一人の日本人メンバーは、ホーボージュン。経験を重ねたアウトドア冒険家であり写真家、ライターである。皆、とていもいい旅仲間だ。

カナダ人グループは、僕の息子エバン・シンプソン、ダン・エリオットと私の3人。ぼくたちは今まで一緒にカナダのクィーンシャーロット島、フロリダキーズ、ポリネシア、バハマのエグマスなどでパドリングした事がある。

息子のエバンは、子供の頃から僕の膝に座らせられカヤックにでかけた。今はぼくよりも、彼のほうが背が高くなった。ダンは学生時代から、ぼくと一緒に仕事をしている仲間だ。ぼくが知っている人のなかでも、一番元気であり、クレイジー。だが、いつのまにか魅力的な青年へと成長していた。

長年の付き合いのうちに、ぼくたちには、それそれの役割ができていた。器具の計画、製作、綿密なリサーチ、セイリング、パドリング、旅の仲間……。そして、旅で知り合う人々などを考える。それだけで気分が高揚する。
この航海は、特別な配慮が必要だった。風速40ノットの強い風のなかでのセイリング、幾夜もカヤックの中で睡眠をとらなくてはならないかもしれない。夜間のナビゲーション、日本人クルーとの言葉の問題も考慮しなければならなかった。

九州南端の佐多岬から、台湾北東部までは1000海里(約1850km)ほど。もっとも長い島と島との横断は150海里(約280km)、台風銀座と呼ばれる場所だ。

3人の日本人と3人のカナダ人、それに3艇のカヤック旅が始まる。文化、生い立ちが違っても、カヤックへの情熱という共通がある旅だ。


鹿児島出発・黒潮横断

小さな街で、外国人がなにやら変わった事をしているということで、自然と人が集まってきた。鹿児島を発つ前に、地元新聞の一面に登場してしまった。それを聞きつけ、海上警備隊までがやってきた。

彼らは、黒潮を避けるルートに変更するように警告した。調べれば、調べるほど、黒潮はミステリーだ。太平洋に向かって流れる4ノット (時速約7.4km)の海流なのである。
それでもなお、ぼくらは開聞岳の近くの港から出発し、計画どおり南へと向かった。初日だったため、あま り長い距離は進むつもりはなかったが、追い風だ。スピンネーカーを膨らませ、進んだ。
西の風20ノットの強風になるまでに、およそ40km進んだ。33海里離れた硫黄島に近づいたころ、前を照らしていたラ イトが消え、3ノットの強い海流が西風とぶつかり始めた。家一軒のサイズの波に何度も揺られたあとで、志郎が言った。

「死ぬかと思った よ」

しかし、そのような状況でも皆が笑顔だ。

 真っ暗闇に、漁港を見つける。岸壁の下につくられたキャンプ場に案内され、そこで丸々一日を過ごした。島は、かつて侍が島流しになった場所だ。水蒸気の 上がる火山があり、温泉が最高であった。 このような小さな島々では、若者の島離れが進んでいると聞く。そのため、人口が減りつつある。燃料費の高騰によ り、漁業を営む人々は生活が苦しくもある。しかし、島では漁業以外できる産業がない。

地元の調査船に招かれて、日本酒の歓待をうけた。しかし、ここでも「黒潮」について警告された。これでは、僕らも真剣にならざるを得ない。

次なる目的地は、口永良部島と屋久島だ。黒潮は世界2番目(世界一はメキシコ湾流)に強い海流で、温暖な海水を太平洋の北に押し上げ、アラスカ、カナダの 北へと進む。日本の気象にも大きな影響を与えている海流だ。

海岸警備隊は、暖かな気温のため海流は力を増しており、口永良部島の南側を通 るルートを強く薦めた。海流は4ノットだという。非力なカヤックでは、海のなかに飲み込まれてしまう。彼らが本当に黒潮の海流を知っているのか? 実際に 計測したことがあるのか疑問視した。

しかし、安全第一だ。屋久島から奄美大島まではフェリーに乗り、奄美大島から再度漕ぎ始めることにし た。奄美大島へのパドリングは、次回現実させることにした。

地元の調査船に招かれて、日本酒の歓待をうけた。しかし、ここでも「黒潮」について警告された。これでは、僕らも真剣にならざるを得ない。

次なる目的地は、口永良部島と屋久島だ。黒潮は世界2番目(世界一はメキシコ湾流)に強い海流で、温暖な海水を太平洋の北に押し上げ、アラスカ、カナダの北へと進む。日本の気象にも大きな影響を与えている海流だ。

海岸警備隊は、暖かな気温のため海流は力を増しており、口永良部島の南側を通るルートを強く薦めた。海流は4ノットだという。非力なカヤックでは、海のなかに飲み込まれてしまう。彼らが本当に黒潮の海流を知っているのか? 実際に計測したことがあるのか疑問視した。
しかし、安全第一だ。屋久島から奄美大島まではフェリーに乗り、奄美大島から再度漕ぎ始めることにした。奄美大島へのパドリングは、次回現実させることにした。

寄港した島は無人島ではなかった。だから、キャンプサイトはいつも漁港で、コンクリートに覆われた小さな港町がほとんどだ。そこでは、いつも気さくな漁師たちがカヤックのまわりに集まってきた。テントを張る場所を提供してくれたり、シャワーを使わせてくれたり。飲料水をくれたりもした。


彼らは、島と島の間の50kmもの距離を毎日行き来する。僕たちのカヤックを見て、なんといいかわからないようだ。彼らは信じられないほど親切な人たちで、家に招き、刺身をだし、一緒にビールや焼酎を飲ませてくれる。

 「こういう人々に出会うのが、旅の一番の楽しみだ」

とダンが、僕たち皆の気持ちを代表してくれた。

決断

沖縄から北西へ20kmほど離れた伊是名島で、もっとも落胆する出来事があった。島の珊瑚礁は、最高とされていた。8年前に島を訪れたときは、珊瑚と美しい魚であふれ、これまで見てきた海のなかで最高の場所だと思ってきた。砂浜も、珊瑚に劣らず美しかった。

だが現在、珊瑚のほどんどは破壊され、限られた部分にしか珊瑚と魚がいない。沖縄周辺の珊瑚は、海水温度の上昇で急速に衰退している。僕たちがどんなことを地球にしているかを、考えさせられる出来事だ。

那覇よりこれ以上先に進むことが難しくなってきた。仲村は、彼の息子の結婚式に出席するため東京に行かなくてはならに。メンバーの一人は、ひどい船酔いをおこしていた。120〜150海里を横断するには、あと数日必要だ。危険も多く、これ以上進むのは無理だと結論をした。

そして僕たちは、那覇で次の旅の計画を練った。楽しみを残しておくのだ。次は沖縄から、台湾を目指すのだ。