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特徴

2008
Issue 25
Powder March on Eight Peaks
By Neil Hartmann

A week at Hakkoda - the Jewel of Tohoku

雪が音を吸収する、詩のような静けさのなか、我々は無言で、腰まで雪に埋まり前進。峰々に吹きつける風を避けるため、雪が深く吹き溜まる谷へと追いやられた。交代で先頭に立ち、胸まである雪をかき分けて、道をつくり進む。想像を絶する労力だ。

グローブのなかの指は、氷の固まりのようで感覚が無い。山越えをしている最中に吹雪にあい、既に三日が経っている。目印になるものも、外の世界との交信手段も一切ない。我々は凍った世界に孤立してしまった。次は僕が先頭に立つ番だ。しかし、どのくらい自分の体力が残っているのかもからない。

時は1902年、僕は東北で訓練を受ける210人の歩兵隊の一人だ。真冬に雪中行軍の命令を受け演習中、記録的な寒波に遭遇。遭難している。雪のなかを延々と歩き続け、最終的には 11名だけが生き残り、199名は八甲田で命を落としてしまった。

「間もなくフェリーは青森港へ入港します。30分後に着岸します」
スピーカーから流れたアナウンスで目をさます。

「一体なにが起こる の?」
僕は、およそ一世紀前の人間になり、吹雪のなかで凍え死にしそうになっている夢をみていた。寝袋からでて、座り、フェリーの暖かな空気を吸 う。昨夜、北海道を出発。津軽海峡を越え、本州最北端の青森にもうすぐ到着するところだ。

僕らはフェリーでぐっすり寝ていたので、僕らはとても元気だった。時間は7時、フェリーからゴンドラの駐車場までは一時間とかからない。すぐに僕らは目的 地に到着し、東北きっての雪を楽しむことだろう。いまが2008年で本当によかった。

僕は、かれこれ米国を離れて17年になる。この10 年ほどは東北の雪を写真に収める試みに取り組んでいる。しかし、八甲田を訪れたのは、まだ2回目だ。運転しながら、積もった雪層をみると、何故もっと早く に訪れなかったんだろうと思う。この旅行も、いまのところ何の問題もない。

途中、道路のカーブを曲がるたびに、積もった雪が高くなって いった。空は晴れわたり、八甲田の八つの峰の景色が素晴らしい。朝日が薄い黄色に山を染めた。写真に景色を収めながら、これから向かう斜面を思い描く。す ると、気分が高揚してきた。

7年前、八甲田に訪れたことのある僕以外、他の友人たははじめてだった。山内一志、見野雄祐、土井隼人と、中川伸也が今回の同行者だっ た。地元の人はリョーマという人物だった。

東京出身というリョーマは、八甲田に魅せられ、毎シーズン八甲田で過ごすことになった。彼は滑るだけでなく、友 達の案内もしている。駐車場で落ち合うと、開口一番に興奮気味に、こう言って迎えてくれた。

「今シーズンはじめて視界がいいんだ。君たち はラッキーだ」

ザ・マウンテン

八甲田連峰の8つの頂は、歴史に富み、現在でも古い森の雰囲気が残る。八甲田の頂上にはゴンドラで10分、1,324mという高さ。一番高い赤倉は1,551メートル。ゴンドラ一機につき 100人(毎時4往復)で、年にたった150,000人しか訪れない。

八甲田は、圧雪車などで整備されていないパウダーマウンテンだ。いわゆるスキーリゾートではない。頂上からはダイレクト・フォレストという、赤いポールが10m間隔で立てられただけの簡単な印があるだけ。樹氷のなかに入っていくのは我慢して、視界が悪いときには、よく赤いポールを確かめながら滑ること。

バックカントリーにゴンドラがついているようなものだから、八甲田では数社の旅行会社がツアー行っているだけだ。ただし、天候によってツアーのルートは変わる。山をハイキアップしなくてはならないこともある。しかし、心打たれる景色が広がる、楽しい旅になることまちがいない。八甲田は山の周りに道があり、山深い場所でのスノーボードを満喫したあとは、すぐそばにバスがあるといったところも素晴らしい。

大雪と強風注意報発令

八甲田に到着した日は完璧だった。リョーマが案内するフレッシュトラックは、昼食後まで続いた。

山の上半分は松の木が生えている。雪が深く、樹氷のなかを滑っていると途中から、ブナの森へと変わる。雪をかぶった美しい森は、風よけになったりと、視界 が優れないときにありがたい存在だ。

この日はハイクアップをして、頂上から長い滑走を楽しみ、自然にできたハーフパイプのような谷に降りた。西側に厚い雲を背にして、陽が沈 む。その夜、僕らはテレビの天気予報士が、日本海に低気圧が向かってきていることを伝えていた。

山沿いが、大雪と強風に見舞われる」

僕たちは、そう予想した。

翌日、強風の音 で目が覚める。玄関からおもてを覗くと、思わず笑ってしまった。駐車場も、車も、すべてが雪に隠されてたのだ。僕のバンは2mぐらいの高さだが、今は雪原 の小さなコブでしかない。その日は温泉に浸かりながら、ゆっくりとした時間を過ごした。ホテルの従業員は、車をひとつひとつ、雪から堀だしていた。

最後の2日間

東京からやって来た友達と合流して、ツアーに参加した。悪天候により羽田発、青森行きの便が欠航となり、みなは新幹線できていた。東京から730km離れた青森までは4時間30分必要だ。

ガイドは、7年前に僕が始めて八甲田に来たときに世話になった、相馬さんだった。彼は経験豊富なベテランガイドだ。ゆっくりと朝の9時にスタート。頂上に到着後、ツアーが始まった。ガイドがトレイルを切り開いたり、案内してくれるので苦労は無い。景色を心ゆくまで楽しめた。午前中は30分ほどハイクアップをして、滑り降りる。その繰り返しだった。

汗をかいて、休んで、滑る。最後のセクションは森のなかを行くコース。その日は、ほかのツアー客も多かった。慣れたガイド達は要領を得ていて、同じ場所で他のグループと合わないようにする。そのため、フレッシュなパウダーを心置きなく滑ることができた。このように、ガイドがいると様々な苦労、心配ごとも少なくバックカントリーを楽しめるのだ。

とはいえ、重いバックパックを持って一週間八甲田でハイキングとスノーボードをすると、さすがに疲労する。もう一度、酢ヶ湯に行かなくてはならないだろう。筋肉痛の体を湯にしずめ、目を閉じてリラックスするのだ。

この一週間、八甲田でかつて見たことのないほどの雪の量をみた。20世紀初めに199人の命を奪った雪を、現代ではレジャーのために追い求めているなんて信じられない。人間社会の移り変わりについて、考えさせられてしまう。

防水性ジャケットとゴンドラ、スキーかスノーボードがあれば吹雪は脅威でなく、恵みとなる。もちろん経験が大事だ。一歩間違ってしまえば、遭難した兵隊と同じ状況に陥ることだってありえるのだから。

湯滝に移動して、滝に打たれ、肩をマッサージ。そのとき、今日最後にゴンドラに乗ったときに偶然一緒になった常連のユキさんと交わした話を思い出した。彼は英語で、戦後に八甲田が開かれた年から毎年シーズンパスを買っていることを自慢した。

彼はゴンドラが頂上に到着すると、「こんな爺さんだと、街の女性たちは目もくれてくれない。でも、ゲレンデでは若い女性が立ち止まり、僕と話をしてくれるんだ」と、八甲田に毎年訪れ続ける本当の理由を教えてくれた。そして、ウィンクをしながら樹氷のなかに消えていった。いやはや、なかなか粋な定年生活である。