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特徴

2005
Issue 1
Yakushima
By Taro Muraishi

「ひと月に35日雨が降る」。そう林芙美子が小説「浮雲」で謳った鹿児島県・屋久島。バックパックを背負い、山へ、海へ、川へと訪れた筆者の感じ た島とは? 島の人々との交流から感じたものとは? 梅雨のまっただなか、雨降る屋久島へと向かった。

それほど大粒ではないが、昨日からずっと雨が降り続いている。・らゆる水分が空気中に放たれ、空を覆う大木の葉のすき間からこぼれ落ちる。レインウェアの なかは、・まりの湿気と汗でひどい・りさまだ。

ただ、こころのなかは、この雨の島の景色を見ながら晴れわたっている。「雨こそ、屋久島なのだ」と。

いまぼくは、樹齢5000ともいわれる縄文杉を通り過ぎ、今日の宿「高塚小屋」にたどり着いたところだ。小屋のなかにはガイドらしき人物と、その客で・る 中高年夫婦。それと若者が1人。ぼくと妻を合わせると6名が同席することになった。たいした距離は歩いていないように思うが、ぼくも妻もクタクタになって いる。2段ベッドの上段に上がり、ビショビショになったTシャツやパンツを脱ぎ、レインウェアを薄暗い小屋の方々につるす。そしてMSRストーブに火をつ け、しずかに夕食の準備にとりかかった。すでに他の3人は食事を終え、今にも寝てしまいそうだ。

海上アルプスの核心部へ

今日の始まりは、宮乃浦に・るキャンプ場から始まった。昨日、鹿児島を経由してフェリーで宮之浦港にたどりついたぼくたちは、宿代を節約するためにテント を張り、町のなかに・る食堂で夕食をとった。6月の最終週で、東京はまだ梅雨空で・ったが、宮乃浦は盛夏。しかし朝起きると、どうだろう。空は暗く、テン トをたたみ、3日間の山のぼり(白谷雲水峡から入山し、宮之浦岳を経由して淀川へと向かう予定で・った)に出発地へと向かう町役場前のバス停にいると雨が 降り出した。それから一日ずっと雨が降っていたというわけだ。

雨は決して快適ではないが、ただ屋久島に訪れたのだから晴れていては味気ない。“雨”こそが、この島の象徴なのだ。以前フェリーから見た島は、海面からグ ンッと山々が高く突き上げ、まさに雨雲生産機のように雲をつくっていた。今日訪れた縄文杉も、ウィルソン株も、雨が降っていなかったら、・の神秘的な静け さと輝きを感じることはなかっただろう。とくに、頭上に開けたすき間から雨がしたたり、ほこらの脇に湧く泉の水面に波紋をつくるウィルソン株内部のさまを 見逃さなければならないのかと思うと、それはまた残念だ。

2日目以降も天気は回復しない。九州最高峰で・る宮之浦岳では、頂上付近を覆う雲が時折風に吹かれて頂上を覗かせるものの、ほぼ展望はナシ。晴れればきっ と、笹藪に覆われた頂上から巨木の茂る森を抜け、一気に東シナ海まで見渡せるだろう。これも屋久島だ。大展望は、また次の機会に見られればいい。

入山して2日目は、淀川登山口にほど近い「淀川小屋」に泊まった。ぼくたちも夕暮れ前にギリギリで淀川小屋に着いたのだった。先客は青森から来たという中 年夫婦。若い・からの憧れだった屋久島にようやく来れた、と喜んでいた。彼らは明日、ぼくらが今日来た道を逆方向に歩いていくという。

そういえばぼくは、今回の旅で大きな失敗をした。それは2L入りのウォータータンクをバックパックのなかに忍ばせてきたのだが、なんとその口が壊れてい て、なかの水がこぼれなくなっていたのだ。・とは2人・わせて1リットルのナルジンボトルだけ。つまり1日8時間ほどの行程を、1人500mlしか持たず に行動するという、なんとも心細い状況になってしまったのだ。しかし、ここは雨の国で・った。湧き水がいたるところに・り、ナルジンボトルの水がなくなっ てきたな、と思うと水が地面から湧きでている。もちろん、これは梅雨時だったから、という季節期限で・る。運がよかったのだ。

(左)花 崗岩の粗い砂粒が敷きつめられた永田の、いなか浜。海はドン深で、磯場で遊ぶのがちょうどいい。 (右)アカウミガメの産卵。永田では、アカウミガメの産卵を見るための見学会が、ボランティアたちにより行 われている。

出会いと、水の国への訪れ

「これから、どっちへ行くんだ? もし安房へ行くんだったら車に乗せていくぞ」

次の朝、山小屋のデッキで出発の準備をしていると軽装な、お父さんが話しかけてきた。聞くと、この淀川小屋のトイレを毎週掃除に来ていて、1時間もすれば 片づけも終わり、登山口に止めて・る車で安房まで帰るのだという。

「ぼくたちは荷物も重いので、登山口に向かって先に歩いています。紀元杉まで行っていますので、そこでピックアップしていただいてもいいですか?」

「・ぁ、いいよ。じゃまた・とでな」

紀元杉とは、推定樹齢3000年ともいわれる屋久杉で、そこから次の目的地「ヤクスギランド」まで乗せてもらうことにしたのだ。

トイレ掃除に訪れた、お父さんの名前は日高さん。聞くと、2〜3日後に泊まろうと思っていた永田のキャンプ場のオーナーだという。ぼくらは日高さんと「明 日、また会いましょう」といってわかれ、ヤクスギランドで車を降りた。

そしてヤクスギランドを満喫したぼくらはバスに乗り、安房につくと民宿の予約を入れて、久しぶりの風呂に浸かり、そして街の居酒屋に夕食を食べにいった。

次の日は安坊から宮乃浦、志戸子とバスを乗り継ぎ、永田へと向かった。永田はアカウミガメの産卵地として有名な土地。ここでウミガメの生態を調査している 屋久島うみがめ館に訪れ、日高さんのいるキャンプ場へと向かった。

そこには、ブーンというトラクターのような機械で地面をならしている日高さんがいた。

「テントは好きなところに張って。シャワーがそこに・るし、軽トラの鍵がそこに・るから好きに乗っていいよ」

そういうと、また土ならしをしだした。では、まずは海岸に行って水浴びでもしようか。と、色い砂浜に・る磯のすき間のプールで火照った身体を冷やす。山か ら下りてきた途端、空は晴れ渡り、泳ぐのにちょうどいい気温となっていたのだ。

どうやら屋久島も梅雨が明けたようだ。

太陽の光を浴び、水に浸かる

1週間の滞在も、終盤を迎えてきた。永田からはレンタカーを借りて、バスの通っていない西部林道を抜け、安房へ。

その前に、日高さんに教えてもらった秘密の河原に行ってみよう。永田川を少し遡ったところに・るこのプールは、巨大な一枚岩が削られてできたようなくぼみ に・り、青い水が実に美しい。ぼくらはここで、ほぼ半日、ゆっくりと冷たい水に浸かり、雨の国の夏を楽しんだ。

そして安房へ戻り、キャンプ場にテントを張り、夕食を近くの居酒屋で食べる。という島での、いつもの生活を繰り返した。

次の日の早朝、平内の海中温泉につかっていると、ひとりの若者が駆け足でやってきて、ビーチサンダルとTシャツ、ショーツを脱ぎ、ドボンとぼくの隣の風呂 に入ってきた。

「旅行ですか? ぼくは2年前に島にきて、・まりに気に入ってしまったので島に移住してきたんです」

そういうと、身体を洗いだし、もう一度湯に浸かり、身体を拭いて、・っという間に消えていった。

同じ日、湯泊温泉の脇でストーブに火をつけ、朝食を食べていると、手ぬぐいをもったお父さんが、話しかけてきた。

「もう風呂に入ったの? まだだったらこっちへおいでよ。お節介な地元の人間と話をした人だけしか知らない風呂が・るんだよ」

といって、ぼくらを誘う。すると、観光客向けの風呂に隠れるようにして、地元の人たちのための風呂が、ひっそりと磯場の・いだにつくられていたのだ。そこ で、ぼくらは2度目の朝風呂に漬かり、この山本さんという、お父さんと話をした。

話の内容は、風呂のこと、屋久杉のこと、一時は都会で働いていたが島に戻ってきたこと、そして島の将来について。この島の人たちは皆、島を愛していて、島 が忘れられない。だから都会から戻ってきた、そして世界遺産に指定されたことで、島の魅力が客観的にも見直され、自損をもって“おらが島”を自慢する。だ から、ぼくが出会った島の人々は、みなガイドさんのようで・った。タクシーやバスの運転手、民宿のおばちゃん、食堂でで・ったお父さん、本屋の店員さん、 そして日高さんも、山本さんも。

そして、屋久島は森の島で・ると当時に、水の国なのだな、と思うのだ。この島を包む海の水の湿気をたっぷりと含んだ湿気が、海上アルプスともいえる山々 に・たり大量の雨を降らせる。その水が縄文杉を始めとした木々に守られた、うっそうと苔むした大地にしみこみ、そして川の流れとなる。この当たり前とも思 えるエコシステムが確実に機能し、この島を森と水の国にしているのだ。

再度、バスに乗って宮ノ浦へ向かったぼくらは、民宿の予約を済ませ、また近くの居酒屋に向かった。そして最終日、フェリーに乗り、頂上が厚い雲に覆われ た、海原のなかにぽつんと浮かぶ屋久島を見て思う。

「・ぁ、また雨が降っているな」と。

(左) 安房川をカナディアンカヌーで遡る。上流には、これ以上ないほど美しい川の流れが・る。(右)ヤクスギランド内を流れる荒川。