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特徴

2010
34 号
日本の漁師=絶滅危惧種
By Mitsuharu Kume

今や日本食の代名詞、寿司。

近くに海のないところで育った僕の子供の頃は、おめでたい時や、家に来客があった時に、近所の決まったお寿司屋さんから“にぎり”をとる。そんな決まりがある特別な食べ物だった。

黒と朱色の丸くて大きなお皿に、卵の黄色、マグロの赤、イクラのオレンジ、イカの白、などが色とりどりに並び、視覚的にも「美味しいですよ」と訴えてくる寿司。母親が電話でお寿司を注文しているとなれば、兄弟にあっという間に広まり、それはもう嬉しくてたまらなかったものである。

さて、そんな寿司は、魚がなければ始まらないのだが、それを獲る漁師さんのことをいったいどれだけ知っているだろうか?

一言で漁師といっても、スタイルはそれぞれ違う。狙う魚によって、使う船や獲り方が違うのだ。

大型回遊魚を追って、大勢で何週間も海に出っぱなしの漁もあれば、海に潜ってひとりで魚を銛で突く漁もある。

漁師とは“釣り”ではなく“漁”をする人のこと。魚と知恵比べを楽しんで、キャッチアンドリリースするのではなくて、食べるために、生きるために、家族のために、命をかけて海に出て行く人のこと。僕はそれを漁師だと思うのである。

日本は島国。だから、海からの恩恵を受けて生きてきたのは当然のことだ。日本には3000以上の魚港があり、朝のセリの時間ともなれば各港では威勢のいい言葉が飛び交い、活気に満ち溢れていたのだ。

なぜ、いた、と過去形なのか。それは、最近そうではなくなってきているから、である。裏付けるデータが以下だ。

明治時代、今から100年ほど前は人口が6000万人弱で、300万人が漁師だったという。20人に1人は漁師だったという計算だ。ところが今は人口1億2000万人に対し漁師は22万人しかいないという。なんと550人に1人。しかも、その内の10万人は60歳以上で、25歳以下は3%しかいない。さらに10年後には半減するといわれているのだ。

その後どうなっていくかは想像がつく。そう、この地に1万年も継承されてきた漁撈文化が消滅してしまうのだ。

理由は一体何だろう?

理由のひとつにGPSや魚群探知機の発達がある。魚の住む瀬を昔はヤマ立てといって、陸の山を目印に覚え漁をしていた。そのため漁師の世界には親から受け継ぐ、秘密の漁場があったのである。今ではGPSに登録しておけばいつでも誰でもその瀬に行け、魚群探知機に魚影も映るようになった。すると、魚が沢山獲れる。冷蔵や冷凍の技術も発達してきた。だから漁法も大型になり、沢山獲って遠くへ売るようになる。ところが獲り過ぎて魚が減ってきた。気がつくと漁獲量が減り、漁師が続けられなくなる。そんな風に、便利なはずの機械が悪循環を作り上げてしまったのだ。

また、海外から安い魚を輸入していることも、それを販売するスーパーやレストランのチェーン化も文化を変えてしまった。今や僕の住む日本の南の離島でさえ、朝定食にノルウェー産の鮭が出てくるのである。それなのに、島で獲れた魚は島で捌けず、本土へと送られていく。

他にも食文化が魚から肉に変わっていったこと、地球の温暖化など、理由はいろいろあるだろう。

ただ言えることは、魚環境はどんどん悪化しているということだ。

さて、ここで漁師の世界を覗いてみよう。

まず漁師さんの乗る漁船に注目したい。というのは、とても個性溢れる乗り物だからだ。それぞれの漁師さんが、人生のほとんどの時間を過ごす自分だけの場所なのだから、使い勝手よく作り上げられているのである。

この船は、船縁には水深200メートルに住む魚を狙う道具が整然と備えてあり、コックピットをのぞくと、舵や計器類がずらりと並んでいる。ミカンも必需品のようだ。窓のまるい枠は、ガラスが回転して水しぶきが飛ぶ仕組みになっている。その下の階は寝床。奥には神棚と薬箱、床には道具に毛布。あるべきところに物がある様子は、見ていて何か安心感がある。

これは南の島で底釣り(一本釣り)漁をする船で、僕がこの島に来た12年前からの知り合いの船だ。冗談ばかり言っている親父さんと、その息子の二人で乗っている。出会ったころはサーフィンを始めたばかりの学生だった息子は、島を出て水産高校に通い、卒業後に父親の船に乗ったのだ。そんな息子も今では3人の子を持つ父親。親父と息子の船ではなく、爺ちゃんと親父の船に呼び名も変わってきた。

二人は長い間一緒にいるからか、言葉はほとんど交わさずに海へ出て行く。日本人に忘れられてきた、職人技の継承とともに。美しい親子関係だと思った。

この時期の二人の一日を追うと、凪の日であれば、暗いうちから氷や餌の準備をして、出航前になるとそれぞれの奥さんが3食分の弁当を持ってきて出航する。1~2時間ほど走り、漁場についたら水深200メートルほどの棚で底釣りを開始する。潮を見ながらいい漁場を探し、移動しながら針を落とし続ける。やがて夕暮れになると水深50メートルくらいの浅瀬に移り、産卵にやってくる魚を狙って夜更けまで針を落とし、朝のセリに間に合うように帰ってくる。そして水揚げ、箱詰め作業をして、船を洗って終わる。24時間以上の労働である。

時給ではないので、いくら頑張ったところで魚が獲れなければ稼ぎにならないし、獲れたところで魚価が低ければ、二束三文という時もある。

出漁は海の天気次第なので、凪が続けば連日漁に出るし、時化が続けば何日でも休みとなる。全く安定しない、まさに水商売なのである。

もちろん日本は島国なので、場所や獲る魚により諸事情は異なるけれど、こんな漁師も一例である。

近年の燃料費の高騰で、日本中の多くの漁船が漁に出れば出るだけ赤字、という最悪な状況になり、船が港に停泊し続ける異常事態にもなった。

こんな話を聞いたことがある。

マグロのことを、スーパーで売っているパックに詰められた切り身しか知らない主婦は、赤い切り身がそのまま泳いでいると思っていた、という冗談のような本当の話だ。

ほんの100年前まで、20人に1人が漁師だったということは、日本人のほとんどに漁師の血が流れているはずなのだ。それにもかかわらず、魚に関心のない人が増え、科学技術の進歩ばかりで漁業などの1次産業が注目されない社会になってしまっている。

漁師から聞く海の話からは学ぶべきところが多い。その漁師がいなくなるというのは、大切な無形文化財を失うことを意味する。レッドブックには載っていないけれど、日本の漁師はかなり上位の絶滅危惧種だと言えよう。

どうにか回避する方法はないのだろうか? 

アウトドアで自然と接することの好きな僕らが、何か変えられないのだろうか?

寿司を沢山食べる。それも、消費を増やす意味ではひとつの方法である。さあ、アイデアを探しに、まずはお寿司を食べようじゃないか。