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特徴

2010
33 号
スノー・チェーサー
By Evans Parent

エピソード1:気ままなフリースキーヤー

4年間で普通の人の一生分のスキーを、北米の山々で味わったあと、新しい挑戦がしたくなった。次は噂に高い東洋のディープパウダーを追うのだ。そして僕は日本へと向かった。

5年前、パウダーをもとめてカナダ、アメリカを横断する旅にでるため3ヶ月の休暇をもらった。最初コロラド、ユタ、ブリティッシュコロンビア、アラスカなどの著名なスキーリゾートが頭に浮かんだ。 僕らの計画はいったってシンプルなもの。男3人、車1台、あとはエンドレスに続く山を探検するだけである。スキーをするために生き、車で寝て、雪が降ると聞けばどこにでも行くのだ。

雪崩情報が雪崩注意報をだすと、リゾートの一般ゲレンデを滑るが、いつもはバックカントリーのオープンなスペースを楽しむ。オープン場所でボールにチャレンジしたり、林間コースを駆け抜け、雪庇をスライディングしたり、ピローラインにジャンプしたりして一日を過ごす。アラスカからニューメキシコまで雪を追って4回の冬を過ごしたけど、僕たちは何か新しいことをやりたくなってきていた。

当然注目は日本にいく。雑誌や映画によると日本にはたっぷりパウダーがある様子だし、聞いたところによるとあまりスキーをする人がいないらしい。どうやら僕がお役に立てそうだしと、喜んで日本へ向かった。

まず最初にしたことは、車をさがすこと。幸運なことに、僕は北海道ニセコ、ブラック・ダイアモンド・ロッジのクレイトン・ケナガンと知り合った。彼はこれから数ヶ月、僕らの交通の手段であるとともに、ねぐらとなるトヨタハイエースを借りてくれた。そのうえ車の中にベッドを組み立てる道具も貸してくれたのだ。

写真では雪は脇の高さまであったし、ディープな雪で最高の滑りを体験したと書いてあったので、僕は日本横断の旅を北海道からスタートさせることにした。

北海道にまつわるどの話も共通なのは、パウダー。だからとてもいいスタート地だと思う。雪をスキーで楽しむのもワクワクするが、あまりスキーに関する情報がないので、未知のテレインが存在するかも知れないという期待感で一杯なった。

ロープ考

足慣らしにリゾートのスロープをまず滑ってみた。リゾートのコースは全体的には悪くないのだけど、アメリカとは違い、いつもここを滑れ、あそこはダメだとコントロールされているように感じた。規制のない場所をみてみたが、あちこちにロープが張られスキーヤーを入れないようにしてありショックだった。

もちろん、崖、行き止まり、雪崩危険箇所などの理由で規制するのは当然だが、あまり危険と思えないところまで規制してしまうのはもったいないことだ。 あれだけロープを張っているのに、滑っていいスロープが危険なエリアと交差しているところもあり、理解に苦しんだ。ロープは危険な所に行かせるためにあるのかと思ったほどだ。僕は規制地域を少なくして、危険について理解してもらうように努力したほうがよっぽどいいと思うのだけど。

カムイ・スキー・リンクス

北海道にもバックカントリーを取り入れたリゾートもある。旭川の近くにあるカムイ・スキーリンクスは、スキーヤーがスキーヤーのために経営してるスキー場だ。マネージャーの前田光彦氏自らスロープをデザインし、誇りをもって山の裏手までスキーヤーに提供している。

しかし万が一の時に備えて、パトロールに顔を出して情報を得たほうがいい。スタッフはコース全般の情報や、どのエリアで安全に滑走できるか教えてくれる。またカムイ・スキー・リンクスは2日間の雪崩講習会を取ることも奨励している。雪崩の危険のあるテレインは表示がしてあり、その場所へ行くか行かないかは本人次第である。

頂上のメインリフトに、ここより先はコース外になり、スキーヤーは自己責任で滑走するようにと書かれたサインがあり、ロープも張られている。ここからもっとも傾斜がきつく、雪質のいい斜面があるのだ。谷底に着くとネオンピンクのテープによる道しるべがあるので、沿って行くとリフト乗り場に出る。そしてまた挑戦だ。

「水野の沢」解放プロジェクト

ニセコもまたバックカントリーに前向きなリゾートがある。バックカントリー用のゲートが設けられており、そこで雪崩最新情報もチェックできる。また安全なバックカントリーについての初歩的なことが書いてあるサインもある。だから安全にバックカントリーをするためのギアをもっていないスキーヤーが、ゲートを越えていってもリゾートのマネージメントに責任はない。

そしてもっと革新的なのは、ニセコ・ビレッジはこの冬から「水野の沢」を開放するのだ。この一帯は過去死亡事故があったため長年、完全滑走禁止地区となっていたのだ。

2年前まではスキーパトロールでさえ、この地域に入るのを許可されていなかった。だから再び開放するにあったっては、安全問題についての議論が多く重ねられた。そして滑走者をこのエリアで滑らせることで、斜面を踏み固め雪崩を未然に防ごうという試みに踏み切ったのだ。

スキーヤーが滑ることによって、大きな雪の層がぐずされ、それが細かくなればなるほど雪崩がおこる確率が低くなるというわけだ。もちろん彼らの対策はこれだけでなく、爆発物の使用や雪の層の研究などで、パトロールスタッフが安全かどうかを判断するという。

スキーヤーにとっては、ここはニセコでもっとも素晴らしいテレインだ。長い安定したスロープと、理想的な間隔で木々があり、そしてなんといっても、強い風がさえぎられていてパウダーが豊富にある。

僕はこの神秘的な場所が、初めて一般の人に開放されるときにスロープに立つチャンスを得た。それにはまず水野の沢のテレインと雪崩事故防止についての一時間のレクチャーを受けなければならなかった。レクチャーは日本語だが、日本語が分からなくても英語のマニュアルがあるから大丈夫。その後はボードをストラップで足につけ、このモンスターテレインへと出発するのだ。

スロープの上に立つと、またもやスキーパトロールのスピーチが始まった。数えるほどしか日本語を知らないので、スピーチが始まりそう経たないうちに、もうスロープを見て、どう滑るかしか考えていなかった。しばらくするとスキーパトロールは話をやめてゴーグルをつけ滑り降り始めた。誰もが彼の後を追った。

僕は皆がパトロールの後を追ってもすこし待っていた。誰も僕が頭で描いていたようなラインで滑らなかった。最初のターンは風で固められた雪でかたかった、でもだんだんスピードがついてきて、ターンが深く、深くなっていった。雪の深さはだいたい腿も真ん中ぐらいだ。雪は軽く、ターンする度に僕の顔にかかった。

パトロールは、皆を一緒にまとめようとしていた。彼は尾根を横切り、皆も急いで彼についていった。テレインは広大な広さで、たくさんスペースがあった。

残りのランは、羽のように軽いパウダーをコンスタントに滑りおりるという願ってもないものだった。僕はここでニセコで最高のランを体験して、下で皆と合流した。

一歩踏み出して

水野の沢を開くというのは、偉大な一歩だと思う。将来多くの人が正しい用具と深雪滑走の安全知識をもって、このテレインを自由に滑ってくれればと思う。危険だからといってテレインを閉鎖するより、雪崩事故やクレバスについてスキーヤーに教育をほどこし、滑走体験の機会を与えるのは正解だと思う。

スキー場がどんなに努力しようと、若い人はパウダーをもとめてロープをひょいと越えて行くだろう。今やバックカントリースキーが世界的な流れであり、多くの外国人スキーヤーもそれを望んでいるのだ。

僕は日本のスキー場がバックカントリーに関する規制を解くのは、時間の問題だと思う。その日が来るまでに、スキー業界はバックカントリー教育、トレーニング、その他の情報を提供していくことが望ましいと思う。そしてこういう動きは、日本をもっと国際的スキーリゾートのランクの上位へと押し上げてくれるだろう、日本はその価値が十分あるのだ。