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特徴

2016
Issue 58 (Winter 2016)
夢を追いかけて
By 三好利恵


Courtesy of Daniel Rönnbäck

北欧出身のスキーヤーでアーチストのサンドラ・ フランソン。彼女の描くモザイク画はアウト ドアスポーツとアートの融合。そこには彼女 と亡き兄との思い出も込められている。

サンドラは、北スウェーデンの海岸にあるルレアという町 で育った。彼女の家族は冒険家で、曽祖父は1952年のヘ ルシンキオリンピックで聖火を持ち、また祖父はフィンランド のクロスカントリースキーのチャンピオンだった。彼らは家族 経営のコテージを営んだ。サンドラは夜空の北極星を眺め たり、また兄のアンドレスや従兄弟とダウンヒルを楽しみなが ら成長した。

サンドラの祖母がそうだったように家族には画家が多かっ た。フランソンの家族はスキーだけでなく芸術家の家系でも あった。だから家族が所有する絵画はすべて家族のだれか が描いたものであった。 もちろんサンドラも芸術を愛していた。彼女はまたアウトド アの学校でクライミングやサバイバルの術すべを学んだ。だが学 校を終えるとき彼女が、芸術とスキーのどちらかを選ぶかで 家族内では論争になった。 「私はスキーを選んだ。スキーに夢中だったし、いずれに せよ深みのある表現をしたければ、なにかひとつのことを追 求して経験することが大切なのです。それが私にとってはス キーだった」


Courtesy of Daniel Rönnbäck

自由な精神

その後の6年間、サンドラはスキーのインストラクターとし て世界を旅した。ノルウェー、スイス、コロラドそしてフランス と旅をつづけ、新緑のシーズンになるとオーストラリアへと 旅立った。22歳になると彼女はシャモニーで兄と住むように なり、スキーに没頭した。 「兄とはシャモニーで仲良くすごしたわ。彼は子供のころか らよい遊び友達で、10代になってもつづいた。でも高校を終えると彼はオーストラリアに移ってしまい会うことはなくなっ た。連絡は取りあっていたけれど」

シャモニーはフランソンにとって特別な場所となった。23 歳の誕生日の忘れられない思い出がある。「イースターが間 近の初春だった。雪は降らないし、おまけにシャモニーは混 雑していた。それでアンドレスに言ったの、“パウダーでスキーしたい”ってね」と、彼女は兄にそう話したときのことを語った。 「そしたら“大丈夫だ”って兄が言って、シャモニーの裏側 につづくルートへ私を連れていってくれたの。ロープや登山 用具を装備して登り、氷河をスキーで渡った。そして一時間 後、私たちは壮大な光景を目にしたわ。空には雲ひとつなく、もちろん周囲には私たちだけ。私たちは膝まで沈むパウダー を滑ったのよ。不可能を可能にしてしまう、それがアンドレス という男なの」

芸術家としての道

25歳になると、彼女はトラベルホスピタリティー(ホテル 業)の学位を取得するためにスウェーデンに戻った。だが学 んでいるうちに8時から5時まで働く仕事が彼女自身にはむ いていないことを実感する。アンドレアスはそんな彼女を見 て、本当になにをやりたいのか自分自身に正直になるべき だと忠告した。

サンドラは学校を終え、アーチストとして生きる道を選ん だ。それはタイルを使ってモザイク画を描くという彼女自身 の個性を生かしたスタイルだった。

「私が10歳のころ、家にアンドレアスがミュートグラブ(ス キーの空中技)をした写真が飾ってあったの。“これモザイク 画で表現したらおもしいかも”って思ったの。でも10歳だったからどうやっていいかわからなかったし、すぐに忘れてしまった。 それでスウェーデンに戻って学校を終えたとき、そのことを突然思いだしたのよ。笑っちゃうわね、15年もかかったなんて」 ザ・ミュートグラブは彼女の最初の作品となり、それからはすこしずつ作品を顧客へ販売し、収入を得るようになった。「アンドレスに感謝しています。芸術家への道を彼は気づかせてくれたのですから。」

兄の遺産


Courtesy of LInus Meyer

「アンドレアスはクレイジーなスキーヤーだって言われている」とサンドラは兄について語った。「彼の口癖は、“人生は全開で生きてこそ価値がある”」。でも、もう一方では彼は山での安全対策の重要性についてたいへんよく知っていた。山岳ガイドの資格も独学で手に入れたのよ。だからスキー ヤーを危険な場所へはぜったいに連れていくことはなかった」

「私は彼が危険を察知するところを何度も見てきました。 安全こそが彼のキーワードだったのです。とくに数年前に事 故で首の骨を折ってからはさらに慎重になりました」

アンドレアスはスキーの世界で輝かしい功績を残した。世界一のエキストリームスキーヤーのひとりとして、またデナリの南壁を滑った功績を認められて、2012年にスウェーデンのアドベンチャー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。だが2014年の秋、パタゴニアのセローサンロレンゾを仲間のスキーヤー、JPアウクラーと登山中(2,300フィート)に雪崩に巻込まれ、ふたりは帰らぬ人となってしまった。

 昨秋、サンドラは“セーフ・パッション”という非営利の協会を立ちあげた。それは若い世代にむけて、山での安全と危険を察知する訓練が目的だ。彼女が遭遇してきた事故などの経験を若いスキーヤーに伝える学びの場とすることが目的だった。

 「これまででいちばんクレイジーだったと思うことは危険についてなにもわかっていなかったこと。当時は、自分が滑るスキーのラインしか考えていなかったから、あのころ、なにも起きなかったことは幸運だと思う」

 この“セーフ・パッション”は無料のスキーキャンプをシャモニーでおこなう予定である。その目的は若い世代に山岳での安全確保を教えることだ。

 アンドレアスはつねに彼が得た報酬(ほうしゅう)をスキーのコミュニティや、とくに裕福ではないが、スキーを愛してやまない若い人々に還元したいと願っていた。その彼の意思をサンドラは受け継ぎ、またサロモンやレコというアウトドア・ブランドの応援も得てこのキャンプは無料となった。さらにサンドラ・アートワーク、彼女の近作である“From Darkness into the Light”からの収益も充てられる。

 そのモザイクの作品は霊的な男の話で、邪悪な大蛇からスキーで逃れようとした男の前に山が立ちはだかった。そのとき二羽の鳥が飛んできて彼を助けるというもので、南アメリカで信じられているコンドルがアンデス山を越えてやってくるという伝承に重なる。  「これは彼との最後のプロジェクトともいえるでしょう。兄の死を悼(いた)む意味と思い出が込められています」

 さらに「この絵を製作中、私は自分の一部を捧げて描いてきました。もちろん兄の死は悲しいのですが、でもそれだけでなく愛と幸福を分かちあうという意味も込められています」とサンドラは語った。

 “From Darkness into the Light”のポスターはサロモンとのコラボレートで現在販売中である。またアンドレアスが生前開発していたマウンテン・ラブ・スキーのトライビュートセット、7セットも同時に販売されている。

日本の思い出

 昨シーズン、サンドラは兄の足跡(そくせき)を辿るために来日し、彼らの友人であるトレーシー・レナードと再会を果たした。かつてトレーシーはアンドレアスを伴って日本を旅したことがあり、サンドラは彼らがかつて訪れた場所を自分の目で確かめたかった。

サンドラはニセコや長野のすばらしいパウダーを楽しみ、また東京という都会を冒険し、小笠原諸島ではロッククライミングに挑戦した。彼女は各地でインスピレーションを感じたという。

 「日本が大好きになりました。すべてが新しい体験でした。スキーに来ても、まだ有り余るほどの山がここにはあり、実力に応じた登山ができます。雪に覆われた寺院の美しかったこと。私はコロラドでスキーを教えたことがあります。彼らはそこの雪質“シャンペン・スノー”を自慢にしていました。でも日本のそれはもっと軽いのです」

 未来に向けてサンドラはあらゆる夢があるようだ。「山に住んでスキーや絵を描くことだけでなく、ヨガやバランスのためのエクササイズもしたい。“今”を楽しむことが人生を知ることじゃないかしら」

 「人は泡の中で生きている。と兄は言っていました。私も同感です。泡の外にはすばらしい世界があるのにという意味です」

 あなたはあなたにとって真の幸福を得られるものをもう手に入れましたか?それを知らないままで年齢を重ねることは不幸なことだと思いませんか。✤

詳しい情報

「セーフ・パション」へのURL

http://andreasfransson.se

 

サンドラ・フランソンのURL

www.sandrafransson.se

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