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特徴

2016
Issue 58 (Winter 2016)
オーストラリアの天井
By Aaron Jamieson

コスキアスズコ国立 オ ー スト ラ リ ア の 高 原 地 帯 を 祭 日 、 式公園にあるスキー ビレッジ 、ガセガ の小さなロッジの集 落から出 発したのは真 夜 中 だった。冬も終わりかけで、嵐 の予報がでていた。ベースキャ ンプのマネージャー、テディー・ レイコックと私は、北欧のソリ、 パルクに乗せた装備を2日間引きずっていた。 嵐はスピードを上げて近づいているようだったので、私 たちは標高2,196mのトワイナム山に設置したテントが無事 かを確かめるために戻ることにした。トレイルヘッドから約 7kmの場所にある。嵐で横殴りの雨と雪になってきた。 トレイルヘッドを見つけて無事に最初の小川を越えたの だ が 、 荷 物 を 引 き な が ら 急 な 斜 面 をト ラ バ ー ス す る に つ れ て状況は厳しくなってきた。氷の上に積もったぬかるんだ 雪 の 上 で 滑 る よ う に な り 、 テ ント ま で 無 事 た ど り 着 け る か す こし 心 配 に な っ た 。

ブリザードが濃霧とともにやってきて、ナビゲーションは くらやみGPS任せになってしまった。暗闇の中、ウェイポイントを重 い足取りで進んだ。吊つ り橋を越えたスノーウィリバーのある 有名なイラウォンロッジまでなんとかたどり着き、ここからは 直線ルートだが、その先には急な登りが待っている。 高度を上げるにつれ、風が強くなった。冷たい水が首か らしみこみ、下着と靴下をぬらしながらブーツにまで入って きたとき、ようやくスノーガムの樹にかこまれたテントを見つ けることができた。なんとか持ちこたえているポールにはり ついたテントは風に引っ張られ、海に浮かぶ漁船のように なっていた。 ロープで補強してテントを固定させ、キャンプを風から保護するために雪で壁をつくった。シーズン中最大の嵐だっ たと後から知ったのだが、おかげで先が思いやられた。コ ンディションは最悪だったが、この時期にはあり得る天候 で、ルーフ・オブ・オーストラリア(オーストラリアの屋根)と 呼ばれるこのエリアで、冬にひと月キャンプする者はほとん どいない。

国 立 公 園 や 保 護 区 も 多 い オ ー スト ラ リ ア ン ア ル プ ス は、16,000平方kmにもなるオーストラリアでもっとも標高 の 高 い ピ ー ク が あ る 場 所 だ 。 こ れ は 、 ス イ ス・ ア ル プ ス よ り 広 い 。 グ レ ート デ ィ ヴ ァ イ デ ィ ン グ 山 脈 の も っ と も 高 い 場 所 で 、 オ ー スト ラ リ ア 本 土 で 唯 一 毎 年 深 い 雪 が 積 も る 場所である。 ほぼ平地のオーストラリアでこのアルプスはひじょうに目 立 つ 。 高 度 の 高 い 山 々 や 起 伏 す る 高 原 が 、氷 河 の 谷 と 氷河湖にとってかわる。ここは自然環境にとってかなり重 要なエリアである。隔離されたまま進化した寒冷地特有の 多様な植物や動物は、ここでしか見ることができないもの も多い。

典 、そし て 貿 易 の た め に 訪 れ た 。 季 節 はとくに 春 、毎 年 同じ季 節 にこの 地 に 集団で移動してくるボゴング蛾が が収穫さ れる時期だ。 ヨーロッパからの開拓者につづいて、 探検家と探鉱者たちが富をもとめて オ ー スト ラ リ ア・ ア ル プ ス に 大 挙 お し 寄 せた。1830年代から、高原地帯は夏の あ い だ に 牛 や 羊 の 放 牧 に 使 わ れ る ようになり、1850年代には金採掘の町がつくられ、1860年代からは林業が突出して発展した。

ごらく産業とともに娯楽も発達した。1861年には世界最初の アルペンスキー・クラブであるキアンドラ・スノーシュー・ク ラブがキアンドラにできた。ヨーロッパでも、北米でもなく、 コジオスコ国立公園にある、いまでは廃すたれてしまった金鉱 の 町 に だ 。 オーストラリアのスキー生誕の地であるその町は、私たちのキャンプから北へ約100kmの所にあった。

1850年代にやってきたノルウェー 人 の 鉱 夫 た ち が 、 平 ら な 板 を 使 っ て 初 期 段 階 の ス キ ー 板 を つ くり 、こ の 地 で の ス キーの素そ 地じ をつくった。当時、柵さくの木材を利用してスキー 板をつくったそうだが、その冬以来スキーが大人気となり、冬が終わるころにはキンドラの町中の柵がなくなってしまったという逸話もある。

ひ と 月 に わ た る 私 た ち の オ ー スト ラ リ ア・ ア ル プ ス 地 帯 を 越 え て の キ ャ ン プ 、 ハ イ キ ン グ 、ス キ ー の 探 検 旅 行 は 、 このアルプス開拓者たちの足跡をたどるものである。メン バーはリーダーのクリス・ブース、テディ、私 、それから長 距離スキー選手のケニー・ヒートリー、ティム・メイヤーズ、 ジ ェ イ ク・ マ ク ブ ラ イド だ 。 な か な か 行 け な い バ ッ ク カ ントリーを見ることができることを期待して、多数のプロスキーヤー、スノーボーダー、そして映画制作者が参加した。

私たちは旅をふたつの段階に分けた。第一段階では、 2週間かけてスノーウィー・マウンテン中央地帯の北西に 位置する部分を、毎日まる一日かけて調査した。私たちは、 19世紀、牛追い人たちが夏のあいだにつくりだした道筋を 辿っていった。スキー板を履は いて、だれも知らない細く曲が りくねった道を旅した人々が経験した孤独感と畏い 怖ふ の念を 感じ、また自分たちでこの地に新しい道を刻みたいと思っ たからであった。 この冒険を思い立った要因のひとつは、1950年にオー ストラリア・アルプスでスキーを普及させることに尽力した 人々の物語にあった。そのひとり、熱心なスキーヤーで探 検家だったコリン・メイヤーズは、偶然にもケニーとティム の 祖 父 で あ っ た 。 ニ ュ ー・ サ ウ ス・ ウ ェ ー ル ズ 州 に 商 業 ス キー場などができるより先に、コリンは革のスキー靴を履 き、カンガルーの革でできた暖かいベストを着て、キアンド ラ を と り ま く 山 脈 地 帯 を ス キ ー で 探 検 し 、 と き に は 遥は る か 遠 方、ヴィクトリア州の山岳地帯まで冒険していたのだ。 やがて、生粋の山岳開拓者だったコリンは、現在も運営 されているセルウィン・スノーフィールドを設立した。しかし 若かりしころの彼の起業家としての活動には、さらに有名な ものがある。彼は自分が愛するスポーツをもっと多くの人々 に楽しんでもらおうと、キアンドラ近くのキング・クロス・ロードの旧道にオーストラリアで最初の陸上リフトを建設したのだ 。ダ ッジ 製 6 気 筒 エ ン ジ ン と マ チ ル ダ 歩 兵 戦 車 か ら 取 り だ し た 変 速 装 置 を 使 っ て つ く ら れ た「 戦 車 リ フ ト 」 は 、 そ の 後 数 十 年 つ づ い た ス キ ー ブ ー ム の き っ か け と な っ た 。

6 0 年 経 っ た 今 、 ス キ ー 場 を の ぞ い て は 、 こ の 山 々 の ほ とんどの部分は冬のあいだ地図にも載らない場所となり、 オ ー スト ラ リ ア の バ ッ ク カ ント リ ー の 情 報 は ひ じ ょう に 少 な い 。 ア ー ク・ オ ブ・ ツ リ ー に 設 営 し た ベ ー ス キ ャ ン プ か ら 、 山脈のさらに高地に設営したふたつ目のキャンプまでの道 のりで、私たちはカルサーズ・ピーク、センチネル、ワトソン ズ・リッジ、クラッグスを探検した。 地形は険しく、400mも垂直に落ちていくような場所がと ころどころにあった。岩だらけの支脈がつづく眺望を、長く 白い斜面がさえぎっている。巨大な氷の壁とのこぎり状の 絶壁が岩だらけの谷底へと降り、森に包まれた丘が氷に 覆われた尾根へとつづいた。

は じ め に 嵐 に 遭 っ た が 、そ の 後 は 好 天 候 に 恵 ま れ た 。 私たちは3週間にわたって、山脈の北側をハイキングとス キーをしてすごした。冒険が進むほどに、私たちが初めて こ の 壮 大 な 土 地 を ス キ ー で 降 り て い る 可 能 性 が 高 くな っ た。日に焼け、半ば凍り、つかれ果てていたが、このすば らしい風景への畏怖の念でいっぱいだった。

1 9 7 0 年 代 と‘ 8 0 年 代 、 オ ー ス ト ラ リ ア で バ ッ ク カ ン ト リ ー が人気になった。アルプスに点々とある家畜商人の小屋 こんにち は、即席のスキーロッジになった。今日ではその多くが解 体されたり、山 火 事で焼 失してしまったが 、残っている建 物 は ス キ ー ヤ ー や ハ イ カ ー の た め の 緊 急 避 難 所 とし て 管 理されている。コジオスコ一帯で、約90軒の山小屋が残っ ている。

旅 の 第 二 段 階 で は 、 シ ー マ ン ズ ・ ハ ット に 到 達 す る ま で、スノーウィー・マウンテン中央地帯の南端を、毎日キャ 海 抜 2 , 2 2 8 m の コ ジ オ ス コ 山 の 山 頂 付 近 に 建 っ て お り 、 ハ イ カ ー や ス キ ー ヤ ー の 避 難 所 と な っ て い る 。 こ の 山 小 屋 は 1 9 2 9 年 に 猛 吹 雪 に 遭 っ て 命 を 落 とし た ス キ ー ヤ ー 、 ロ ー リ ー ・ シ ー マ ン と エ ヴ ァ ン ・ ヘ イ ズ を 偲し の ん で 建 設 さ れ た ものだ。 私たちは山小屋の隣にキャンプを設営した。日が暮れる と 、ち ょう ど 私 た ち の テ ント の 上 に 天 の 河 を 抱 え た 夜 空 が ゆっくりと回転し、荒涼とした大地の上に十億個の星がき らめいた。山小屋のほかに、人間の存在を思わせるもの はなにもなかった。私はこれと同じ景色、白い丘と鋭い山 頂の影を見たであろう家畜商人、採掘者、木こり、そして スキーヤーたちに思いを馳は せずにはいられなかった。

ここから私たちはオーストラリア大陸で二番目に高いタ ウンゼント山(海抜2,209m)をめざした。そして翌日はもっ とも過酷な日となった。何週間にもわたるスキーとハイキン グ に 、雪 の 上 で の 少 な い 睡 眠 の せ い で 肉 体 的 に も 精 神 的にも疲れきった状態だった私たちの目の前にあらわれた のは、長く、ギザギザの氷に覆われたオーストラリア・アル プスの中でもっとも高いふたつの山頂のあいだをぬうトラ バースだった。うなるような風がカミソリのような氷片で覆 われた尾根をふきぬけていたが、ここを横切ることだけが、 つぎなる探検の地へとつづく唯一の道だった。 探検隊のうちふたりがこの急斜面で崩れ落ち、瞬時に鋭 い氷に切り刻まれた。西の山奥へと進む私たちは、ここで 簡単に救援隊の助けを求めるのが不可能であることを、あ まりにも的確なタイミングで思い知らされた。私たちは南西 から氷のように冷たい暴風が吹き荒れる中、慎重に道を選 びながら、ピッケルとアイゼンを使い数時間かけて進んだ。 タ ウ ン ゼ ン ト 山 の 尾 根 に 正 午 ご ろ に 到 着 し た 。 風 に 晒さ ら された私たちの顔は、刺すような強烈な太陽にさらされてさ らに痛んだ。タウンゼント山の山頂で、キャンプ設営のたン プ 地 を 変 え な が ら ジ グ ザ ク に 歩 い た 。 が ん じ ょう な 御 みかげいし 影石でつくられた山小屋は、オーストラリア大陸最高峰、 めに岩が露出した場所を探していると、岩と雪に囲まれて雨 風 か ら 守 ら れ た 場 所 を 発 見 し た 。 私 た ち は 、こ の 海 抜 2,158mの地点にキャンプを設営した。オーストラリア大陸 でもっとも高い場所に立って周囲を見わたすと、下にアル プス山脈がどこまでも広がっていた。

こ こ は 雪 線 の 最 西 端 付 近 で あ り 、ど こ ま で も 広 が る ス キーに最適の地形や、岩肌がところどころに見える斜面、 探検されるのを待ち望む断崖や尾根が見えた。私たちは ここで4日間キャンプし、オーストラリア大陸の最高峰、最 長の傾斜でハイキングやスキーをしてすごした。私たちは このために「オーストラリアの天井」に来たのだ。✤

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