特徴

2015
Issue 57 (Autumn 2015)
波から芝へ
By 三好利恵
ハワイの波から慶応大学のスタジアムの芝まで、デビッド・スタントは今、日本で波風を立てている。

 台風が近づく雨の慶応大学。だが慶応ユニコーンズのコーチ、デビッド・スタントの胸はワクワクしていた。アメリカンフットボールのシーズン開幕を目前にして、朝の激しい練習を済ませ、彼は鎌倉で台風がもたらす波に乗ることを楽しみにしている。

 「僕は両方のいいとこ取りをしてる」とスタントは言う。「フットボールのコーチとサーフィンという、大好きなことを両方できるんだからね。台風のときのサーフィンはすごく楽しい。練習が終わったらサーフィンに行くんだ」

 フットボールとサーフィンは一見何の共通点もないようにみえる。スタントがどうしてこのふたつの世界を愛するのか、そしてこのハワイの男がどうやって日本に来ることになったのだろうか?

 スタントは8歳のとき、オアフ島のノースショアにある自宅の近くで初めて波に乗った。彼の父、デビッド・スタント Sr. は、ノースショアのサーフィン・パトロール・クラブとして有名なダ・フイの創設者のひとりだ。

 

「最初に熱中したのはサーフィン」とスタントは語る。「僕のサーフィンのルーツはデュークだよ。デューク・カハナモクが僕の父にサーフィンを教え、父が僕に教えてくれたんだ」

成長するにつれ、彼はフットボールを愛するようになった。最初、彼の父は、スタントが怪我をするのではないかと心配し反対だったが、スタントも典型的なディーンエージャーらしく、反対されるとさらにやりたいという願望をつのらせた。だからといって、海から離れていることはできず、忙しいスケジュールの合間にもサーフィンを欠かさなかった。

「学校の成績はあんまりよくなかった。授業中でもサーフィンに行って、昼休みまでに戻り、その後はフットボールの練習」。当時を思いだしてスタントは笑う。高校を卒業し、南オレゴン大学に1年就学し、膝(ひざ)に大怪我をしてハワイに戻ることになった。だがスポーツへの熱は冷めず、プロサーフィンの世界に足を踏み入れたが、これは彼の好むものではなかった。

「一旦プロになると、サーフィンは仕事になってしまったんだ。いやでもなんでもサーフィンしなきゃいけないし、大会にも出なきゃいけなかった」と彼は言う。さらに彼は一般のプロサーファーと比べると40kgほど重かったのだ。

「プロサーファーはたいてい小柄だから小さい波でも乗れるけど、僕は違った」。そうしているうちに運命がふたたび彼をフットボールに引き寄せた。アリゾナ・ウェスタン大学がラインバッカーを探していたのだ。彼は奨学金を受け、そこで2年間プレーしたあと、フットボールの名門校、ウィスコンシン大学から声がかかった。だが彼はそれを拒否。
「あそこは波がないから」ということだそうだ。
 

けっきょくオアフ島に戻り、ハワイ大学の奨学金を受けてウォリアーズとなった。彼はノースショアの裏庭でサーフィンをつづけ、エディー・アイカウ・インターナショナルの補欠にもなった。サウスショアでフットボールしてはノースショアへ急いでサーフィンするという、スタントにとってはかなり忙しいスケジュールの3年間だった。

27歳にしてスタントは全国最年長のカレッジ・フットボールプレーヤーとなった。NFLでプレーするには身体が小さすぎたうえ、すでに25もの手術をしていた。だがスタントが最高学年のとき、運良く日本のフットボールチーム、シーガルズがウォリアーズを訪ね、彼を迎えてくれたのだ。

基本的な日本にかんする知識を得て彼は日本に到着したところが、日本のトップレベルのアメリカン・フットボール・リーグであるXリーグは、ハワイの選手が参加すると知って、外国人を禁じることになった。

選手としてひじょうに残念なことになったが、これを機に彼はコーチとして再出発することになろうとは、スタントも考えていなかっただろう。シーガルズは、彼をディフェンスのコーチとして招聘(しょうへい)することにした。

「コーチをはじめたころ、シーガルズはデビジョン2からデビジョン1に昇格したばかりだった。いいチームだったが、改善すべき点は有り余るほどあった」とスタントはそのころを思いだす。「でも毎年、いい選手が入るようになり、すこしずつよくなっていったよ」

スタントがコーチになって3年目、彼はヘッドコーチに任命され、チームは優勝もするようになっていく。スタントがリクルートした選手同士の相性をうまく合わせ、理想とするチームをつくったおかげだ

2007年、スタントはハワイに戻り、昔ながらの夢であったカメハメハ高校のコーチとなった。だが6年後、日本がふたたび彼を呼び戻した。「2013年の初め、もしシーガルズがその年ライス・ボウルに行けたら、日本へ応援に行くべきだ、と妻が言ったんだ」

シーガルズはすでに2戦連勝し、見通しはよかった。スタントの妻が家族全員のために飛行機を予約し、シーガルズが2011年以来3年連続でライス・ボウルの優勝を果たすのを見ることができた。このバケーション中、スタントは元シーガルズの選手ヒロキから、慶応大学のコーチの空きポストがあると話を持ちかけられた。

慶応大学のフットボールチームはすこし変わっており、選手はかならずしもフットボール選手ではない。「入学するのは難しく、学生は、学業成績が優秀だがフットボールを知らない」。スタントは、彼のチームの175人の選手が訓練する様子を見ながらそう説明した。選手のほとんどは1年生でフットボール選手としては平均よりずっと小柄だが、スタントは楽観的だ。
 
 
「いい子たちだよ。頭もいい。今年甲子園ボウルに出場できれば、日本のフットボール界の大きなインパクトを与えることになる。勝つためには賢くもなければいけないと知らせることができる」と彼は信じている。

 ユニコーンズは現在関東地区大学フットボール・リーグのランキングで3位であり、おもなライバルは、早稲田、日大、法政大学である。スタントのゴールのひとつは、たしかに練習や筋トレは大事であるが、作戦、リクルート、訓練もまたチームの成功に大切であるとみんなに教えることだ。

しかしながら、 学業面では日本でもトップクラスの大学のチームをコーチするということは難点も多い。「必要以上に物事を考える選手がいるから、そういうときは止めなくてはいけない」と彼は言う。

 
 

 身体が反応するように訓練しなくちゃいけない。ボクシング選手なら、ジャブを出すとは考えないだろ。自然にジャブが出る。考えるのもいいことだけど、考えすぎはよくない。そのバランスが大切なんだ」

コーチの仕事と波乗り、そして故郷の家族を訪ねたりと、スタントはいつも忙しい。そうするなかでもダ・フイのブランド拡大に努めている。あきらかに彼はそのどれをも楽しんでおり、後悔はない。その成功の秘訣は、彼を支持してくれたり、投資してくれる人々によるものだという。彼の信念とはこうだ。「僕の人生ではすべてがタイミング。そしてチャンスがきたときのためにじゅうぶんな準備をしておくことだ」 ✤
 

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