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特徴

2015
Issue 55 (Spring 2015)
街にサーカスがやってきた!
By 三好利恵

文:三好利恵
訳:李リョウ

トラビス・パストラナのナイトロサーカスが数年の準備をへて大阪と東京で公演され、数万人のアクションスポーツ・ファンを熱狂させた。世界でベストといえるFMXBMXのライダーによる2時間のショーは、重力を無視したかのような鮮やかな技がくり広げられ、観客を魅了した。ナイトロサーカスでしか観ることができないショーだった。

このツアーに参加している世界一のメンバーたちは、まず世界でただひとりダブルバックフリップをFMXライダーとして、ダートバイクで成功させたジョシュ”シーニイ”シーハン。ジョリーン・バン・ビュットは女性で初めてダートバイクでバックフリップと、その最長距離でギネスレコードを達成した。アーロン”ウィールス”フォザーリンガムは車椅子で初めてフロントフリップ、バックフリップ、ダブルバックフリップを成功させた。そしてあらゆるモータースポーツのコンペティターでエキストリームスポーツのスーパースター、かつ先駆者でもあるトラビス・パストラナももちろんメンバーのひとりだ。 

パストラナはメリーランドの田舎で強い絆(きずな)で結ばれた家族のなかで育った。彼の父と4人の叔父たちは家族経営の建設会社に従事していた。そのため彼は、多くのトラックや未舗装の大地に囲まれて育ったため、ダートバイクレーサーになるための最高の環境で育った。「ぼくも家族もビデオゲームやTVを観るのが好きじゃなかったから幸せだったよ。それに家族の連中ときたら、もしぼくがカウチに寝そべっていたら怒鳴っていたからね“広場に行ってこい!”ってさ」と、パストラナは子供のころを思いだして笑う。

普通の13歳ならばビデオゲームやTVに耽(ふけ)っている年頃だろうが、彼はすでにモトクロスレースでスタントをしていて、XゲームのMotoX Freestyle Eventにて16歳で優勝。つづくふたつの試合でも勝ったのである。

2006年にパストラナは、試合中に初めてダートバイクでダブルバックフリップを決めた。2010年にはランプ・トウー・ランプの世界新記録を達成。また重傷を負っても彼はとまらなかった。彼はその才能をBASEジャンピングやラリーレーシングで発揮し、それをXゲームに取りいれる橋渡しする役割も果たした。

ナイトロサーカスは2002年に誕生。「友人たちのグループで楽しむだけじゃなくて、もっとアイデアがあったんだよ」とパストラナは語る。彼は新しいトリックを開発するために、チームとともに家の裏庭にあるフォームピット(クッション置き場)で技を練習したことを思いだした。

彼は友人やアスリートたちをもっと誘い、アクションスポーツでは世界一の体制をつくるとDVDを製作した。その最初に完成した作品はアクションスポーツの熱狂者たちにカルトのように支持され、”Jackass”のジョニー・クノックスビルの目にとまり、MTVでも採用されることとなった。それがライブショーをおこなうきっかけとなり、毎年の公演につながった。

「アクションスポーツはイメージ優先で、クールに撮影されるのがしばしばだよね。ナイトロはそうじゃないんだ。選手はみんなアスリートで、仕事を持っている。つまりナイトロは楽しむ場であり、きみ自身もそのままでいいんだよ」とパストラナは言う。「ここにいる全員が熱中している。だってライドすることが大好きなんだから。その情熱が成長となるんだ。ぼくらのめざすところはひたむきさと楽しむこと。食うためにやったことは一度もないよ。その結果、ナイトロサーカスが誕生し、世界を旅することになった。それだから、人々はぼくらを求めて何が起こるかそれを確かめたい。そして同化するんだ。観客のエネルギーがぼくらをアップさせ、彼らが望むような結果を残したいと燃えるんだ。アスリートたちは、ローラーブレードやバスタブのトリックにも取り組んでいる。ナイトロサーカスは唯一の存在だよ。もしきみがアクションスポーツに加わった子供だとしたら、ここはまさにトレーニングの場だね、先生はきみの能力を引きだして、未知のスポーツを生みだそうとするんだ」とパストラナ。「最初のツアーのとき、ポゴステック(ホッピング)を持ってきたやつがいた。それはスポーツとはいえなかったけど、チームは助けあいながらそれに取りかかってモノにした」 

アーロンクルムサウベージは、サーカス上演中のコメディを担当しているが、役割は大きい。「ナイトロサーカスで生き抜く方法はふたつ。まだだれにもできないものをやりとげるか、だれもやりたがらないことをするか、そのどちらかなんだ。さて、ぼくはどっちだと思う?」

ショーでいつもクルムはメガランプをカスタムメイドのリクライニングソファ付きの手押し車で滑り降りた。もちろん観客は度肝(どぎも)を抜かれるだろう。

50フィートの高さはあるメガランプから真っ逆さまにスライドダウン、次に待っているのはバンプ(でこぼこ)だ。「スライドダウンはハードということもないんだけど、でもバンプは怖いね」と彼はバンプを指さす。リスクを侵してまでも彼は着地できる方法をつねに模索(もさく)しつづけている。つい最近も、前方に体重をかけ過ぎて頭から突っ込んでしまった。 

本番前にはリハーサルはおこなうものの、柔軟でクリエイティブ、そして積極果敢(かかん)な演技中には予期しないことが起こる。

ハーフタイム中、バックステージではパストラナがエキストリームプロスキーヤーとBASEジャンパーのエリック・ローナーに話をしていた。「空中でぼくが左に飛んで、ハイファイブをマティーと交わす予定だった。だが彼らがスタートポイントでポジションをスイッチすることを知らなかったんだ。だから空中で飛びながら“どうしちゃったの?”。すると東野タカが背後から接近してきた。だからぼくは彼が通り過ぎるときにハイファイブしたんだよ。無理かなって思ったけど“バン!”って、ハイファイブできた。最高だったよ」

2007年、ふたりがグランドキャニオンでBASEジャンプダートバイクをおこなった。ローナーにとって初めてのダートバイクだった

今年は60の公演が予定されている。アスリートたちは数ヶ月の旅と、大勢のクルーたちと過ごさなければならない。だがスポーツを愛する気持ちが全員を結びつけている。

「ぼくらはひとつに結束している。ナイトロは小さなグループからスタートした。グループにふさわしい人を吟味(ぎんみ)し、それが成長していった。まるで家族のようにね。情熱で結ばれているんだ」とニュージーランドのタウポから来たジェド・ミルドンは言う。2011年、ミルドンはBMXでの最難度の技、トリプルバックフリップを完成させた。

40人近いアスリートを訓練することは簡単なことではない。個人的な思考からチームとして大きなイメージを共有しなくてはならないからだ。外部からみれば大胆な技からの着地は難しいようにみえる。だがパストラナの考えは違う。「スタート走行では、選手は熱くなっている。“ベストを尽くそう”と、ほかの選手と競いあうような気持ちになって、ショーのことはすっかり忘れている。だから、ショーだってことをもう一度思いださせるんだ。スローダウンして簡単なトリックからはじめて、難易度をあげていく。がまんするほうが難しいからね。ナーリー(過激)な技を披露しちゃうって?ノープロブレムさ!」

ナイトロサーカスは日本ですばらしい結果を残した。76,000名以上もの観客が訪れ、東京では過去二番目の観客動員を記録した。

「日本での公演は初めてで、正直言ってちょっと不安だったよ。でも想像をはるかに超えたね。メンバーの多くは食べるものにだって不安を感じていたし、でもすばらしかった。日本の人たちは最高だったし、過去のツアーでベストのひとつとなった」とパストリアは来年の再来日を期待しながら、そんなことを語ってくれた。「将来のツアーとしては、チリやアルゼンチンにも行きたいと思っている。市場としても価値があるんだ。つまり受けいれられる文化があるところならば、どこでも訪れて興奮を分かちあいたいと思っている」

しかしながらナイトロサーカスは13年前にスタートしたころより、比べられないほどの大きなプロダクションに成長した。

「私たちは新しいステージに直面している。私たちは大きく成長した。でもトラビスのめざしているものは変わっていない。アクションスポーツをさらにラディカルに変化させるということだ。彼はそれが楽しいんだよ。だからやっているのさ。彼は友だちと一緒にバイクで楽しみたいのさ」とナイトロサーカスのクリエイターでもあるジェレミー・ロウリーは語った。

さて、ナイトロサーカスの未来はどうなっていくのだろう?情熱、そして革新的でクレイジーなアスリートたちがくり広げる、限界を超えるアクションスポーツ。ナイトロサーカスのオーストラリア、アメリカ、ヨーロッパのライブツアーは新しいTVシリーズ”Crazy Train”としてNBCから今年放映される予定だ。

詳しいインフォメーションは: http://nitrocircus.com

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