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特徴

2011
Issue 41 (Autumn 2011)
Discovering the Middle Path
By Matt Malcolmsen

Discovering the Middle Path

中山道の歴史を知ろう

日本に古くからある街道を通りながら、途中の村々を訪ねて歩くというハイキングをしてみたくて、数ヶ月前からずっとチャンスを待っていた。少なくても4日間ぐらいは、何にも邪魔されずに旅を満喫できたらいいなと考えていたけど、ようやく叶い、地図を手に中山道の探訪に出かけることにした。

中山道を訳してみると、“ミドル・ロード”、もしくは“内陸の山間部に沿ったルート”といった感じだろう。江戸時代(1603年〜1868年)、このルートは京都と江戸(東京)を結ぶ街道として使われていて、京都から現在の埼玉県、群馬県、長野県、岐阜県、滋賀県とを抜けて東京まで延びている

徳川の将軍が管轄していた五街道(5つの公式ルート)のひとつであり、いわゆる“参勤交代”にあたり諸大名が江戸へ向かう時にも使用されていた。ちなみにこの制度によって、大名たちは1年ごとに江戸と自領を行き来しなくてはならず、幕府としては、江戸にいる諸大名の家族がある意味で人質となるため、謀反の可能性を抑えられるという狙いがあった。


“姫街道(プリンセス・ロード)”と呼ばれることもあった。由来は、江戸で将軍に嫁ぐ姫たちがこの道を通って行ったことにある。同じく京都と江戸を結ぶ東海道(イースト・シー・ロード)は海岸線を通るルートだったため、より洪水や氾濫の危険が少ない山間部ルートの中山道が好まれたとされている。

また木曽街道とも呼ばれていた。長野と名古屋をつなぐこの美しい木曽路沿いのセクションは、中山道の中でも昔のままの姿を色濃く残している場所のひとつ。木曽村の人々は、かつては武士、商人、大名などが一泊して疲れを癒していた宿(宿場町)をいまも大切に保存し続けており、村にある家々の多くは現在も民宿(宿)として使用されている。

1960年代になると、さすがに昔ながらの建物にも手入れが必要になってきて、他の村では昔の建物を取り壊して現代風の家に作り変えるという動きもあった中(地元当局もそれを奨励していた)、木曽村の人々は修復という道を選んだ。そして、オーナーが勝手に家を売却したり改造したりすることを禁止するといったいくつかのルールを作り、すでに数少なくなっている田舎ならではの風景を守ってきた。

私の旅の初日は、中山道にあった69の宿場のひとつ、馬籠からスタートした。村の入口は、枡形と呼ばれる急な曲がり角になっているが、これは敵の攻撃を防御するために日本の城によく見られる造りである。

丸石を敷いた長い道が町屋の間を抜けて延びている。この町屋とは昔ながらの木造家屋(長屋)のことで、幅が狭く長く伸びているため、しばしば“うなぎの寝床”と例えられることもある。いまはカフェや店舗になっていて、地元の名産品である五平餅(お米をつぶして焼いたものにミソやゴマ、くるみなどのタレを付けたもの)などを売っている。

最初のハイクは、この街道沿いでも有名な馬籠峠を越えて妻籠へと向かう道のりだ。馬籠を離れると道はゆっくりと上り坂になるからとてもラクチン。村を出てから30分ほどのところでは、小さなお蕎麦屋に入ってみた。経営していたのは村の郵便局員の奥さんだった。

峠を通過して、未舗装の土の道を下っていくと、小さな茶屋に着く。こうした茶屋は、かつては日本各地のあらゆる街道沿いに軒を並べていて、旅人のちょっとした休息の場となっていた。

妻籠にはハイクを始めて3時間ほどで到着した。いよいよ町屋で過ごす初めての一夜。この辺りの雰囲気はまさに昔の中山道の宿場そのものといった趣きで、封建時代にも同じような風情が漂っていたのだろうと思わせる。空をふさぐような電線も現代風の建物もない。日中は観光客が多いが泊まっていく人は少ないそうで、なんだか特別に選ばれた人になったような気分となった。

私が泊めてもらった大吉(ダイキチ)民宿は、長さ1キロほどの村の外れにあり、原さん一家が3代にわたって営んでいる宿だった。シンプルで清潔な部屋が5つあって、新鮮で美しくて素晴らしい料理を出してくれる。山菜などの素材の多くは、周囲の山で育てたものなのだそうだ。


翌朝、美味しい朝食を終えると、私はふたたびハイクに出かけた。天気も良かったので、次なる目的地の木曽福島につながるふたつのルートのうち、距離が長い方の道を選ぶことにした。地図とルートを記したノートを手に、南木曽まで1時間歩き、そこから坂道を上っていく。途中たくさんのソバ畑や田畑を通り過ぎたが、地元の人たちは笑顔で気さくに挨拶してくれて、こちらも元気が湧いてくる。

6時間のハイクを経て、キチンと道ができている次の峠も越え、林の中を抜けてから舗装された道を歩いて野尻へ。ここからは木曽福島まで15分ほど地元の列車に乗ることになる。

木曽福島は木曽路や木曽地方の中心的な場所だ。旅人はかつてここで関所を通過しなくてはならず、違法な何かを持ち出していないか、江戸にいる家族を密かに連れ出していないか厳しくチェックされた。

そしてこの夜の宿は駒の湯という居心地のいい温泉旅館。温泉で疲れた体をほぐし、6品のコース料理を夕食に堪能し、次のハイクへの期待を胸に、ぐっすりと眠った。

翌日は次なるセクション、藪原から鳥居峠を越えて仲宿へと向かう道のスタートだった。藪原で有名なのは、地元のみねばりの木で作られたお六櫛(コーム)。60年代にプラスチック製の櫛が登場するずっと以前から手作りされてきたものだ。

短く急な坂を上って、峠に到着。左には日本で2番目に高い火山の御嶽山(3,067メートル)が見える。そばにあったクマよけの鐘を鳴らしてから、道を下って今度は奈良井へ。かつては千件もの宿が軒を連ねていたこの町は、中山道の宿場町の中でももっとも栄えた場所だったらしい。

古い建物の修復や厳しい規則を取り入れない住民が多かった藪原と奈良井との違いは際立っている。藪原には今風のプレハブの住宅や電柱などが普通に見られるが、奈良井には馬籠や妻籠などと同様、かつての姿をエレガントに残しているのだ。だからといって不便を強いられながら暮らしているわけでも、テーマパークのような街並みだけを重視しているわけでもない。上手にやりくりしながら、住民はキチンと便利な暮らしを維持しているし、何代もここに暮らしているという家族もたくさんいる。

最後の晩は伊勢屋で過ごした。酒井正樹氏と彼の両親が経営している素晴らしい宿だ。200年前のものだという町屋の内部の木の壁はピカピカに磨かれて美しい輝きを放っていたが、囲炉裏のススを使って女性たちが代々大切に磨いてきた結果なのだという。

そして私にとって今回最後のハイクとなったのは、奈良井から平沢までのゆったり散歩だ。平沢は漆器で有名な場所で、たくさんの店が並んでいる。本棚、テーブル、その他の木製製品にはどれも美しい漆が塗られている。思わず手に取りたくなるが、予算が十分ではない場合は箸一膳程度にせざるを得ないので注意したい。



Self-Guided Walking Tours

私はグループツアーには加わらずに一人旅をするタイプ。ガイドさんや他の大勢の観光客と一緒に移動するのはどうも好きになれないからだ。それよりも自分の好きなペースで、気になった店にブラッと立ち寄ったり、他の人を待たせることを気にせずに好きなだけ写真を撮ってみたり、というのがお気に入りなのである。

もちろん必要なギアをキチンと準備したり、街道のスタート地点までの道のりを把握しておくことなど、やるべきことはいくつかあるが、何といってもとくに段取りを決めておく必要がないというのがセルフ・ガイド・ツアーの醍醐味だ。

セルフ・ガイドのウォーキングに不可欠なのは、ハイキング・マップ、詳しい街道ガイド、列車の切符、途中立ち寄る古い宿に前もって予約と前金を入れておくこと。また、何か困った時に助けになってくれる電話番号などもあるといい。でも基本的には、自分とその道のり、そしてそこに待ち受けるアドベンチャーが旅のすべてとなる。

中山道のセルフ・ガイドのウォーキングツアーは3泊、4泊、5泊、または10日間程度といった日数で出かけるのがいい。季節は4月から11月頃。さらに詳しい情報はOxalis Holidays http://oxal.isまで。