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特徴

2009
Issue 30
驚きの台湾!
By Janick Lemieux & Pierre Bouchard


知らない場所でいろいろな人と出会う喜びがペダルをプッシュさせる。旅はおどろきの連続で、僕らは知らないことを学ぶことになる。だからほとんど知識のない、日本の南方に位置するこの島はもってこいの行き先かもしれない。

最近はアメリカ、ヨーロッパ、日本でもほとんどの製品が台湾製だ。自転車以外の台湾に関する知識といえば、蒋介石が1949年に国共内戦で、60万人の中国国民党員をと2百万人の難民をつれて台湾にやってきたことぐらい。もともとの原住民はいたのだろうか? 工業廃棄物が捨てられているというけど、それは本当なんだろうか? 僕らは台湾に行って、もっといろいろな事を知るのが待ちどうしい。

飛行機で降り立った首都で、その国を判断してはいけないが、台北は本当にすごい所だった。100キロ以上続く自転車専用道路はあるし、マングローブを守るための自転車専用道路などもあった。細い横丁の中国料理の屋台で、スパイスの効いた豆腐料理、ガーリックとライスにほうれん草の入ったおいしい料理をいただく。僕らがカナダのケベックから来たと知ると、レストランにいた人達は敏感に反応した。

「ケベックもカナダから独立するために国民投票したんだよね!」と興奮しながら、共感をもって話しかけてくる。台湾は独自の貨幣を持つ民主主義政府だが、政治的には複雑な状態が続いている。中国は台湾をただの「離反している省」としかみなしておらず、あと十年もすれば長い間迷子になっていた子供を取り返すように台湾は中国の一部だと言って来るに違いないと彼はいう。「台湾には何も無いよ。石油はないし、あるのは米ぐらいだ。いざとなったら、港を閉鎖して皆自害するよ」

食事が終わるころ、こういう状況でもほとんどの台湾の人は中国文化や伝統の影響を受けており、中国に対して深い思い入れがあることを僕らは学んだ(多くの台湾人は台湾からの移住組で、そのはじまりは約500年前にさかのぼる)。しかし、若者は「台湾人」という意識が強く統一をあまり望まない。これは終わりなき論争だろう。

台北には、「台北101」という竹の節をかたどった超高層ビルがある。一時は世界一高いビルで、地上101階で508メートルという高さを誇る。この近代的なビルの、アジアでもっともカラフルで大きいフードコートから、次は淡水川沿いにある台湾でもっとも古い寺の一つ、龍山寺を訪ねることにした。1738年に建てられたこの寺には観音様をはじめ、その他165の神が祭られている。毎日何百人もの人が仕事の前や帰りにお参りするという。

僕らはお香の煙を吸い込みながら、このお寺は仏教なのか道教なのか決めかねていた。台湾の人は宗教に対して寛容で、自分の都合のいいように仏教と道教を解釈する。ほとんどの人は孔子の教えと自分の属している宗教を融合させているようだ。台湾が福爾摩沙(フォルモサ)とも呼ばれ、ヨーロッパの貿易の拠点となっていたころ、こののんびりした台湾の人の考え方に、布教に来たキリスト教の宣教師は苦労したという。島の人たちは長い歴史をもつ自分達の文化を捨てて、キリスト教になる気はないという。

台湾にお寺と(台湾は一人当たりのお寺がもっとも多い)ともに多いのが24時間営業のコンビニエンス・ストア(トイレを借りられるのがうれしい)、アメリカのファストフードチェーン、そしてシアトル生まれのコーヒーショップ(無線ランが使える)だ。台北市内の道はスクーターであふれているが、景色のいい東海岸高速道路のあたりになると高級車か観光バスばかりになる。

ワイルド、ワイルド、イースト

原子力発電所に勤務するという男が、僕らの変わった自転車を見て近づいてきた。彼はなぜ僕らが7月に台湾を訪れたのかと聞いてきた。「今月は台湾が一番暑くて、台風がたくさん来る月なんだよ。バイクなら11月が一番いい時期なのに」と教えてくれたのだ。確かに北回帰線の通る台湾だけに7月は猛烈に暑い。

一方、タロコ渓谷は涼しいと聞いた。初日に天祥まで着こうと、足取り軽くペダルをこいだ。大理石が侵食されてできた岩、濃い木々の緑、空が見えないほどの高く垂直に切り立った渓谷を訪れるのは素晴らしいライドだった。ビジターセンターで5000年前はアタヤル人がこの周辺に住んでいたことを知る。織技術を持ち、顔に刺青をし、首狩をする彼らは、台湾で確認された9つの原住民の一つだった。彼らはマレー人とポリネシア人を祖先に持ち、オーストロネシア語系の言語を使っていた。ということで、最初にこの地に落ち着いたのは、蒋介石でもなければ、客家、福健人でもなかったのだ。

現在、台湾には2千3百万人の人が住む。人口密度はバングラデシュに次ぐという。反面、険しい地形の中央山脈に文明があるとすれば、1894年から1945年の長きにわたる、日本の植民統治下時代につくられた交通システムだけだ。

台湾の西側は人口が多いものの、東側は山で占められている(最も高い山の玉山は3,950メートル)。僕らは3,200メートルの位置にキャンプをすることにした。寒くて都市部の暑さなんか忘れてしまう。台湾は、常時ぶつかり合って地震を起こし、隆起して山を形成し、多くの温泉を残したユーラシアプレートとフィリピンプレートがぶつかりあう位置にある。だから天国と地獄を味わう運命にあるのだ。

台風とバブルとビザ

台湾の一番の魅力は、地元の人達が、旅行客を温かく迎えてくれることだと何かで読んだのを覚えている。最初は誰に向かって言っているのか分からなかったけど、「ゴー、ゴー、ゴー!」と叫ぶのが聞こえた。僕らのバイオ・プロペルで走るキャラバンに向かって道端の人や、車の中から応援してくれていたのだ。僕らの「ツール・ド・台湾」では僕らを英語(マンダリングリッシュ)で激励したり、食べ物や飲み物までくれる本当に親切な人と多く出会った。

玉山国家公園へ着いた時は、人々は激励じゃなく忠告をしてくれた。非常に威力のある台風ビリスが台湾に向かっていたのだ。公園の簡易トイレはロープで固定され、窓には板が打ち付けられ、全員シェルターに向かっていた。僕らも4日間宿泊する予定の嘉義市へ急いで移動した。嵐はだんだんひどくなり、高圧ホースで叩きつけられているような雨が降り、不自然な方向に木を曲げるほどに強い風が吹いていた。台風を体験するのは初めてで、心配で胃が痛くなったほどだ。

ビンロウの実はこのあたりでは強壮剤として親しまれているが、僕らが気に入ったのはバブルティーだ。どこの街角でもバブルティーショップがあり、お茶、ミルク、砂糖と大きなタピオカのブレンドが絶妙なテイストをつくる。熱帯の暑い日にはこの冷たいお茶が最高だった。

南横公路を2,728メートル登った時は、ミスコミュニケーションでちょっとしたハプニングがあった。最初梅山ビジターセンターで僕らはハイウェイは閉鎖されていると聞いた。その後、僕らはある警官が自転車なら行ってもいいと言ったのを聞いた。でもあるドライバーはそんなことありえないと言う。そんなこんなで3日間ジグザグにルートを変えて、やっとYakou Passに到着した。数キロメートル反対側を走っていて、僕達は道のある部分が崖の下に落下しているのを見た。驚いた僕らは夜も走り、ヒッチハイクしたり、電車にも乗って、30日間のビザが切れる前に出発地点に戻れるように急いだ。けれど帰国前に屏東(ピントン)近くの鯉魚山泥火山と東海岸の火山島・緑の島だけには立ち寄った。

セブンイレブンでチョコレートドリンクを買った。何気なく賞味期限をみると95-01-31と書いてある。製造されて11年のボトルにショックを受け立ち尽くしていたら、他のお客さんが笑いながら1955年という意味ではなくて台湾の年号の95年だと教えてくれた。台湾は1911年に生まれ、ROCゼロ年は僕らの1911年だったのだ。

僕らのビザも期限切れになりかかっていたので、この時点ではもう台東から電車で基隆市へ戻る選択しかのこされていなかった。台湾にまた台風が向かっているので、日本へのフェリーが通常通り運航されるかとても心配だった。

台湾で最も出入りが多い基隆市の港で、僕らはクレーンや積荷でごった返した迷路の中、沖縄にむかう日本の船を無事みつけることができた。バイクを入れ、自分のキャビンへと向かった。夕日が沈むなか、素晴らしい台湾を名残おしみながらビールで乾杯した。