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特徴

2011
Issue 38
スノーチェイサー 
By Evans Parent

Episode 3:「浮く島」に残したトラック

過去4シーズン、12万キロ以上にわたりカナダとアメリカをロードトリップしてきた僕は、新しい挑戦の時期をむかえていた。そう、札幌から長野までの日本極上スキートリップへの出発だ。さっそくクリスマスが終わるとケベックシティから飛び立った。

今回の旅、ひとり目の共謀者はカナダ出身のアメリーで、ニューメキシコから北ブリティッシュコロンビアまでを一緒にロードトリップした仲間である。到着してすぐにやってくる左車線運転に日本語の道路標識、凍った道という難関に、副操縦士としての彼女の才能が役立つのだ(それから彼女の計画力に整頓好きな所も。寒い車中泊は気に入らないみたいだけど)。

しばらく後で僕の父が合流し、親友のエティエンヌとバビーシュが僕のテレマークスキーと仏日辞典を持ってやってくれば日本トリップ用の装備はばっちりだ。少なくとも僕はそう思っていた。

12月28日
北海道に到着

今行っちゃったあのバスってもしかして乗るはずだったやつ? 人気のない千歳空港で、14時間のフライトでくたくたの僕とアメリーは救世主を求めて歩き回っていた。やっと見つけた時にはホテル行きの最終バスは行ってしまっていて、市営バスか高いタクシーしか残っていないという。

迷いに迷って金額重視で安いバスで行くことにした。親切なドライバーが降りる場所を教えてくれたものの、そこからはまた迷子。これは良くないぞ。75キロの荷物をどうしようか… 幸運なことにホテルはたった2ブロック先にあった。決して良い思い出とは言えないものの、ようやくベッドに倒れこんだ瞬間はこの旅で最高に幸せな思い出の一つだ。

12月30日〜1月6日
北海道 ニセコ

ぐっすり眠って目覚めると、ブラックダイヤモンドロッジのクレイトン・カナハンに会うためニセコ行きのシャトルバスに乗り込んだ。3か月のロードトリップの危険性を承知で、クレイトンは僕らの旅のために快くバンを貸してくれた。彼からの沢山のアドバイスのおかげで、日本が誇る“パウダーの都”でのスキーは僕の人生の中でも特別な経験になった。
毎日少なくとも30cmの新雪が降り積もり、クレイトンという秘密兵器を持っていた僕らはスキー場のコース内だけで十分楽しむ事が出来た。アメリーも青い瞳を輝かせて大満足していた。

1月15日
北海道 カムイスキーリンクス

カムイに極上の新雪が降った。カムイは素晴らしい雪に加えてバックカントリーへの大らかな姿勢で知られている。50cmの積雪の後、支配人の前田光彦氏がチェーンソー片手にトレイル(彼の自作)の整備をするのを見て、この山に対する彼やスタッフの熱い思いが伝わってきた。皆が笑顔なのには理由があるのだ。
前田氏に勧められ、僕らは裏山を滑ることにした。こちら側を滑り倒しているのはどうやら僕らだけの様子で、そこにあったトラックは全部自分かアメリーの付けたものだった。思い切り楽しんだ後は自分達へのご褒美に旭川の酒造へ行くことにした。英語も話せるフレンドリーな主人がお酒の説明をしてくれた。何時間かのおしゃべりとたっぷりの試飲を楽しんで、僕らはすっかり酔っ払った。

1月22日
北海道 富良野

気温が上がり、軽い粉雪への期待もすっかり解けてしまっていたので、今夜は評判のボッコバーへ行ってみることにした。地下にある小さなバーに入ると、今日は女装したパンクシンガーのライブがあるという。実際始まると、なかなかのジャパニーズパンクを聞くことが出来た。遅くまでウイスキーを飲みながらフレンドリーなバーテンと飲ミニケーションを楽しんでいると、地元のとっておき情報を教えてくれた。

翌朝起きると、まだ軽くお酒が残っていたけれど、教えてもらった十勝岳近くの無料温泉に向かってみた。小雪降る自然に抱かれたこの温泉は僕らの一番のお気に入りになった。

1月24日
北海道 定山渓

アメリーがカナダに帰った後、僕は定山渓へ向け西に車を走らせた。写真家でガイド、映像作家でカフェオーナー、そして「車(カー)団地」シリーズの立役者ニール・ハートマンに会いに行くためだ。車団地シリーズは、車で寝泊まりしながら北海道中の極上バックカントリーを求めて旅するパウダージャンキー達を撮ったもの。まさに僕の旅にぴったりだ。
ニールのカフェでくつろぎながら、良いバックカントリースポットを教えてもらった。僕らはニールの映画や日本のスキーシーンについて語り合ったり懐かしいスーパーファミコンで遊んだりして午後を過ごした。まるで自分の家みたいに落ち着く場所だったけど、もう行かなきゃならなかった。その日遅くに札幌空港に到着する父を迎えに行くのだ。これから3週間のスキートリップの相棒である。

1月25日〜30日
北海道 十勝岳

古傷が復活。凍ったツリーボムにやられて左腿の筋肉を痛めてしまった。僕は大事を取り完全に回復するまでスキーはやめておくことにした。さらに父が車中泊を渋ったので、ホテル暮らしにも慣れなければならなかった。部屋での着替え、ベッド、毎日のシャワー、暖かく乾いたスキーブーツ、そういうのが最初こそ変な感じだったけれど、すぐに慣れてしまった。
大雪山国立公園内の十勝岳中腹にある吹上温泉は体を休めるのにもってこいの場所だった。山々の素晴らしい景色を眺めながら傷を癒す。父が富良野岳でひとりスキーを楽しんでいる間、僕はちょっと退屈しながらも足が良くなっていくのを感じていた。

2月1日
北海道 旭川

旭川の辺りでは、沿道アクセスの素晴らしいバックカントリーを満喫した。旭川の東の脇道から入ったところで父と僕は今までで一番ディープな滑りを分かち合った。僕にとって最初のスキーの手本だった父と、今こうして、この軽くて安定した深い雪を何度も何度も繰り返し味わっているのだ。

僕達は浮島(その名の通り!)で2日間を過ごし、最高のラインを描きまくった。雪が降ればラインは消えてしまうけれど、あの思い出はずっと消えることはない。

2月4日
青森 八甲田

本州での記念すべき初スキー、舞台は八甲田だ。僕らが到着すると気まぐれな冬将軍が猛威を奮っていた。あまりの気温の低さにまるでカナダにいるように思えてくる。風は90kphにもなり、50cmのジャパンパウダーが降り、殆ど前が見えない。しかしここでは珍しくないようである。

それでもすごく良い場所を見つけてスキーを楽しめたし、車団地スタイルで冬を過ごすスキーオタクともまたひとり出逢うことが出来た。日本でこのライフスタイルが広がっているのを見るのは嬉しいことだ。

2月5日〜10日
太平洋岸を南下

成田空港へ向かう途中、いくつかのスキー場に寄り道した。夏油高原に蔵王えぼしにアルツ磐梯。どこもとても良いスキー場だったけれど、30cmの新雪をスキー場内で滑るのはすっかり甘やかされすぎていた僕らにとっては少し物足りなかった。

南下するにつれ、窓の外に映る景色に日本らしさが増えてきた。瓦屋根の家々に美しい寺や神社、人口密度の高い街並みは、僕達が日本にやって来る前に持っていたイメージに近い景色である。この辺りと比べると北海道は全く違う国のようにさえ思えてくる。

2月11日
日光から成田空港、そして長野 志賀高原へ

会津若松のサムライ屋敷で観光客らしい事をして、日光の壮大な景色を楽しんだ後、成田空港に到着した。父にとっては旅の終わり、エティエンヌにとっては2週間、バビーシュには5週間の旅の始まりだ。エティエンヌは去年初めての雪上ロードトリップを経験済みで、バビーシュは過去5年間、僕のトリップには必ず一緒だった仲間である。

エティエンヌのスノーボードの腕は見事で、僕らのテレマークスキーと同じペースで滑る事が出来る。バビーシュはとても大らかな奴で、長いロードトリップの中で平和な雰囲気を保ってくれる。かつての旅では毛深くて汗臭い男ども3人が冷えた2人用テントにくっついて寝ていたことを考えると、ベニヤ板を敷いたハイエースの寝床はまるで5ツ星ホテルのようだった。

成田空港からは高速代を浮かすために西へ向かう事にしたが、時差ボケのせいで2人はあっという間に役立たずの眠り姫になってしまった。3回行き止まりにぶち当たった後、計画を変更して、日本語の道路標識に不安になりながらもなんとか8時間後に志賀高原に辿り着いた。分かっていたら貯金に手を付けてでも高速道路に乗っていたのに。

 

2月13日〜17日
長野 野沢温泉
残念な事に、雨と冷気がやってきてせっかくの良い雪をスケートリンクみたいにしてしまった。良いバックカントリーに出会えない最悪の時には、たっぷりの日本酒が僕らの士気を保ってくれていた。そしてまた山やスキー場に車で繰り出すのだ。野沢温泉の混み混みの無料温泉は実に贅沢な体験だった。あんな小さなスペースにあんなに沢山の裸の男達を見たのは初めてだったから。

2月18日
新潟 妙高高原

目が覚めて缶詰め状態の寝床から這い出た時、車の中はまだ真っ暗だった。ここ妙高にはすごい量の雪が降っていて、暗いのはそのせいだった。僕らはジャンキーらしく興奮しながら妙高山の麓で車を走らせていた。すごい一日になりそうな予感。この新雪をどこで食べまくろうか議論して、結局関温泉に狙いを定めた。雪は素晴らしくて、下にあるはずのレインクラストをいくら探しても、降り続く新雪がカシミヤのようなパウダー上へ僕を押し上げた。

エティエンヌは最悪のタイミングでトイレに行きたくなって、僕とバビーシュがトップリフト一番乗りとなった。このひとり乗りリフトは80年代そのもので、僕が今まで乗った中で一番危なそうなリフトだった。車輪の軋む音と錆びた鉄骨を見るたびに不安を感じたけれど、雪面は30cm下まで迫っていたから、たとえ落ちても問題なしだ。ワイルドに伸びきった髭をなびかせて僕達は深い深い底なしターンを心行くまで味わった。

2月19日〜3月4日
長野 白馬

僕はエティエンヌが悪いカルマを持ってきたんじゃないかと勘繰っていたのだが、彼の帰国後もコンディションは相変わらずのままだった。高気圧が流れ込んで気温が上がり、冷えた軽いパウダーをベタ雪に変えてしまった。底なしパウダーを滑れずイライラする僕を、せっかくだから白馬47と八方尾根のバックカントリーに行って、それから群馬の天神平に行こうとバビーシュが盛り上げてくれた。
まるでアラスカを思わせる白馬の尾根や峡谷の景色は本当に素晴らしかったが、これから何日かの大雨の予報に、白馬に留まる気持ちはすっかり萎えてしまった。ここの山は大きな可能性を秘めているし、バックカントリーアクセスも簡単で、吹き溜まりは雪の良さを証明していた。今回はその可能性を味わえなかったけれど、また必ず戻って来てあの急斜面を攻めたいものだ。

3月6日
新潟から北海道へ

白馬から新潟に向かい、苫小牧行きのフェリーに乗り込んだ。穏やかな船旅で、船内の大浴場にゆっくりと浸かりながら窓の外に見える本州最後の眺めを堪能した。苫小牧に朝の4:30に到着すると、冷たい空気と降雪の出迎えに眠気など吹っ飛んでしまった僕達は、すぐに富良野岳を目指し車を4時間走らせた。

3月7日〜11日
北海道 富良野岳

父と滑って最高に楽しかったあの特別なディープパウダーの場所へバビーシュを連れて行った。膝まであるパウダーに立ち、期待に身震いしながらスキンを貼る。浮島は相変わらずその名に恥じないコンディションで、僕らはパウダーに浮きながら滑り続けた。

3月13日
北海道 層雲峡

北海道随一の絶景と名高い層雲峡に向かう。深い峡谷の麓には黒岳へ登るロープウェイの基点がある。夏のハイキングで人気だが、遮るもののない絶景を眺めながらハイクなしで頂上からの極上パウダーを味わえるバックカントリーパラダイスでもある。とはいえ、ルートから離れ過ぎると急斜面はたちまち断崖絶壁に姿を変えてしまうので注意が必要だ。3月中旬の暖かい日差しを頂上でたっぷり味わってから、僕らは速いターンを刻んで行った。

3月17日〜20日
北海道 トマムからニセコへ

トマムでの最高のキャットスキー(OJ37号特集)の後、僕らは丸々一周して出発地点のニセコに戻ってきた。滑りを楽しんでから街をぶらぶらしていると、トイルというテレマークスキーショップを見つけた。オーナーは僕らの旅に興味を持ったようで、しばらく話しているうちに彼がテレマーク界のアイコン、ナッシーこと高梨穣氏だと気がついた。

ショップに来たバックカントリー仲間達がニセコにはまだまだ良い場所がいっぱいあると教えてくれた。一緒に滑ろうと誘ってくれたけれど、残念ながら僕らの飛行機は明日発ってしまうのだ。

今回の旅に参加した皆が日本での時間を満喫した。最初はシャイなようでも本当はフレンドリーな日本の人々、土地土地の美味な食べ物、それからスキー、全てが僕の人生で最高の旅をつくってくれた。ナッシーのお誘いは、今回時間が足りずに逃してしまった沢山の事のひとつだけれど、これで日本に戻ってくる良い理由が増えたというものである。