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特徴

2010
Issue 37
夢の国の成れの果て
By マイケル ジョン グリスト



「眠れる森の美女」のお城のレプリカがある。その上空には、オリオン座の三つ星が輝いている。左方にはスクリューコースターらしき輪郭が浮かび上がり、黒くて長い、まるで脊髄のようなくねるレールが星明りの空を横切っている。

向こうには巨大な木造コースターAskaがある。あのてっぺんに立ち、あたたかな夜風を顔に感じるのはどんな気分だろう。

なにか音がしたみたいだ。

暗闇に向かってそっと近づく。この場所にいること自体が10万円の罰金ものだ。暗視監視カメラや毎時間のパトロール、無音報知機があるなんて噂も耳にした。

音が止んだ。蝉の声だったかもしれない。ここには自分だけしかいない。

奈良ドリームランドは、日本にディズニーが参入するまでは日本版ディズニーランドだった。眠れる森の美女のお城からマッターホルン、入口の形から他の小物の乗り物に至るまで、カルフォルニアにあるディズニーランドのテーマをそのまま模倣していた。1961年の開業から2000年代始めまでの45年間、関西地方一のテーマパークとして人気を博した。この時代に子供だった関西エリアの人なら、誰でも一度は訪れた事があるに違いない。

2001年には大阪にユニバーサルスタジオがオープンし、その近代的な乗り物や想像力に富んだ造りでファンの心をつかんでいった。そして2006年、ドリームランドは永遠にそのゲートを閉じる事となった。

もはや遺跡と化した廃墟に訪れる者といえば、日中見回りに来る警備員や不法侵入の探検者くらいのものだ。

閉鎖されたテーマパークというのは、廃墟好きにとっては外せない場所である。きっと子供の時にかけられたテーマパークの魔法みたいなものと関係しているのだろう。何か特別な魅力があるのだ。

お化け屋敷の謎と恐怖。弧を描くコースターのスリル。20階分を2秒で急下降する“地獄のエレベーター”のぐらぐらするような感覚。

ディズニーはテーマパークの持つ、夢を現実にする魔法の力というものを良く分かっている。

閉鎖後のテーマパークに戻って来るのは、魔法のからくりの秘密を見たいからと言ってもいい。

もう動かない乗り物。空っぽの駐車場。誰もいないシャッターの閉まった売店。

けれど、魔法の可能性の様なものはまだそこに存在する。そして探検者は皆VIPチケットを持っている。バックステージにも入れるし、乗り物に登る事もできるし、かつて恐怖に陥れられたお化け達を操作する装置にだって近付けるのだ。

そのバックステージを求めて、僕は日本中の沢山の閉鎖されたテーマパークを回ったがどれにもがっかりさせられた。埼玉にあったカッパピアは解体の途中だったし、行川アイランドでは、かつて乗り物があったところにコンクリートの塊が転がっているだけだった。富士ガリバー王国に至っては地図から完全にその姿を消していた。

そして奈良ドリームランドである。

何年か前に下調べをした時に、僕は厳重なセキュリティの注意事項を見てその気をなくした。この趣味が大抵違法なもの(被害者のない)だとしても、僕だって誰かから逃げまどったりはしたくない。保護された場所に押し入ったり、排水路を這っていったり、自分が行く事で害を及ぼしてしまうような場所に行ったりなんて気はさらさらないのだ。

ただ、人間の手を離れて放置された場所がどんな風になっていくのか、それが見たいだけだ。

でも、ドリームランドに関して言えば例外を作らざるを得なかった。警備を切り抜け逃げる準備をしてでも行くか、行くのを諦めるか、二つに一つだったのだ。

それで僕は行く事に決めた。

そして見つかる可能性を少しでも減らすため、夜に行く事にしたのだ。

夜中を少し過ぎた頃、奈良に到着した。静かな夜道をドリームランドまで30分、いつもの様なスリルと興奮を感じながら歩いた。警備員が夜のパトロールをしているかもしれないし、罰金やセンサー、警報への不安もまだ消えていなかった。

アクセスは簡単だった。人気のない夜で、ほぼまん丸の月が全てを青白く照らしていた。海賊船とメリーゴーランドの前を通り過ぎると、その表面は半分剥がれかけ機械の錆びが舗道に滲んでいる。大きなお城の横を通り、シャッターの下りたがらんどうのパステル調の店が並ぶUSAメインストリートを見て歩いた。巨大木造コースターAska用の待ち行列のラインも歩いてみた。

月明かりの下の誰もいないテーマパークには何かとても優美な感じがあった。自分で見る機会はなかなかないだろうし、写真に収めるのも難しい。忍び寄るような静寂と孤独感がある。僕はそれに酔いしれながらなんだかぼんやりしながら歩き回った。

ドリームランドが閉鎖されてからたったの4年しか経っていないから、そこまで変わり果ててはいない。けれど所々で、アスファルトを貫いて生える雑草や金属コースターのレールを囲うように伸びた木、水が漏って転覆しそうになっているジャングルクルーズのボートなんかを見た。

僕は何時間もうろうろして、たまに星や乗り物やお城の長時間露光写真を撮るために立ち止まった。Askaに登ろうとフェンスを越える時に懐中電灯を落としてしまい、藪の中を手さぐりで10分も探す羽目になった。時折物音が聞こえると、警備員かと疑って飛び出す準備をした。

朝5時になって、疲れてきた僕は子供が乗るバケットシートに丸まって30分ほど眠った。目が覚めると、全てが青くて、太陽が昇って来るところだった。

“写真を撮るのに夜明けが一番良い”と言う人の言葉を信じてはいるものの、僕がこの時間に起きている事なんて滅多にない。ドリームランドでの日の出後30分は決して一番良い時間ではなかった。警備員の存在を心配しながら動き回って疲れていたし、光はまだ青くて寒かった。けれどもう30分も経った頃、だんだんと暖かくなってきて、乗り物越しに見た朝焼けの景色は素晴らしかった。

7時頃には僕はそわそわしてきて、そろそろ帰ろうかという気になっていた。お城のピンク色にAskaの茶色、この廃墟の色がはっきり見えるようになってきた。けれどそれよりもっと、ないがしろにされてきた証やこの場所が枯れた理由が分かるような感覚がはっきりと表れて来た時、魔法はゆっくり解けて行った。夜の間は夢の場所だったここは、日の光によって悲しげで寂しい思い出へと変わってしまった。

僕はカメラをしまって、出口へと向かった。