>  屋外日本雑誌  >  Issue 2 : 11月 2005  > 特徴 >  Kii Mountains—Guarded by Gods

特徴

2005
Issue 2
Kii Mountains—Guarded by Gods
By Taro Muraishi

「過去、現在、未来にわたってよくよく見るに、周辺に・るものことごとく自分にとって恩の無いものは無い」

弘法大師・空海

神々に守られた紀伊山地

深い山と森に囲まれた三重、奈良、和歌山。

3県からなる紀伊半島では、

古くからの信仰とともに様々な文化が開花した。

1000年以上の昔から、この地を旅した人々を想い、

慈しむべき神々の国へ。

そして豊かな実り、恵み、憩いを。

「死んで仏になって何になる、今この与えられた身で仏にならずしてなんになる」

弘法大師・空海

真言密教の聖地・高野山へ


 「こんにちは、予約したものですが……」

 「ようこそ、いらっしゃいませ。どうぞお・がりください」

 「お世話になります」

 「こちらのお部屋になりますので、ごゆっくりしてください」

ぼくは、日も暮れはじめた真言密教の聖地・高野山で予約した宿に向かい、挨拶を交わす。通された部屋は12畳ほどの、手入れの届いた和室。部屋のまんなかにはコタツが・り、ふすまを開けた瞬間に、ほどよく温められた室内の空気が漏れてくる。

「お食事は何時ぐらいにしますか?」


 「では、7時ぐらいにお願いします」

 「わかりました。お風呂は向こうに・りますので10時ぐらいまでお好きなときにどうぞ。それから、よろしければ、明朝6時からのおつとめにご参加ください。お疲れでしたら、結構ですが……」

案内してくれたお坊さんは、そういい、静かに障子を閉めた。

高野山は、真言密教の開祖で・る弘法大師・空海が唐の国(現在の中国南東部)からもたらした密教の修業道場として弘仁7年(816年)に開創した宗教都市で・る。この海抜1000mほどの山岳盆地には東西5.5km、南北2.3kmの地域のなかに総本山・金剛峰寺のほか117もの寺が・る。通りには、お坊さんたちの子供と想像できる学生服姿の子どもたちが、ぞろぞろと闊歩し、病院や役場、郵便局、消防署、学校は小学校から、中学校、高校、大学までが揃う。いってみれば街全体が寺と、寺で働く人々によって形成されている不思議な街なので・る。そして唯一ほかと違うのは、いわゆる宿屋というものがなく、ここを訪れ、宿に泊まろうとするひとは皆、宿坊することになるのだ。

すきま風が吹き込む、暖房ひとつない部屋で、お坊さんたちとともに質素な食事を食べ、これっぽちも温かくない布団で寝るかもしれない。風呂もないかもしれないな、朝のおつとめは夜が明ける前からだろうか? などと、これまでお寺に泊まったことなどなかったぼくは、不安と期待が入り交じりながら、宿ととなる無量光院の門を叩いたので・った。
それが、想像とはまったく違う、実に快適で、お坊さんたちの実に献身的な振る舞いに驚く。そして、夕食の時間になると、盆の上にきれいに並べられた精進料理が部屋に運ばれてきてしまう。イモやニンジン、ナスなどの野菜天ぷら、湯どうふ、高野どうふ、ごま豆腐、お吸物、ごはん、つけもの。これが今日の献立で・る。

 普段食べている食事が気になり、尋ねると、「皆さんと同じで、何でも食べますよ。でも、お肉は少なめですね」と、そのお坊さんは、気さくに答える。動物の肉は殺生することになるため本来食べないのだが、時代とともに変化してきているのだ。
夕食を終えたぼくは、快適な大風呂に入り、部屋でくつろぐ。そうしていると、なんだか申し訳ないのだが、お坊さんが布団まで敷いてくれる。お坊さんたちと一緒に大部屋で寝ると思っていたので、本を読むためのハンドライトをもってきていた。だが、どうやらこれも必要ないようだ。


早朝5時。モゾモゾと暖かな布団から抜けだし、眠い目をこすりながら起き上がる。さむい朝だ。聞くと、昨晩は-5℃まで気温が下がったという。部屋の外ではすでに木床を軋ませながら、お坊さんたちが早足で歩き回っている。暖房のスイッチを入れる。そして部屋の障子扉を開け、本道へ向かう。

6時から、おつとめが始まる。

薄暗い、ロウソクの明かりだけで照らされた本堂に入ると、4〜5人ほどのお坊さんがすでに御本尊のまえに座わっている。お香の煙が立ちこめ、だんだんと薄暗く見えていた本堂のなかが明るく、少しづつ見えてくる。すると、まもなくお経が始まった。かすかな光のなかに、御本尊が鈍く光る。石油ストーブがたかれているとはいえ、がたがたと身体が震えるほどに寒い。手を合わせ、目をつむると低く、・の底に染み入るような、お経が頭をめぐる。

  そうして、1時間ぐらいが経っただろうか?

 「では、お香をお願いします」。そういわれ、ぼくと同席していた4人は御本尊内へと入り、それぞれ、お香を焚く。そうしているうちに、おつとめは住職のお話しにて終了。寒さで震えながら暖かい部屋に戻ると、お坊さんが朝食を運んできてくれる。

高野山での宿泊は宿坊となる。予約は観光案内所で行える。
TEL.(0736)56-2616 www.shukubo.jp

熊野詣の中心地・熊野へ

高野山を後にしたぼくは、国道137号線を南下して、はるか室町時代から続く熊野詣(くまのもうで)の中心地・熊野本宮へと向かった。深い谷間をゆく道路は細く、見通しの聞かないカーブが続く。それゆえ、とにかく移動に時間がかかってしまうのだが、しかし、この距離感、この時間感覚こそ、熊野の魅力だとも感じるのだ。

以前、熊野で出会った写真家の石橋睦実さんの言葉を思い出す。「・る作家さんが書いていた“熊野は闇に覆われている”という言葉がぼくはとっても好きなんだ。熊野は本当に薄暗くて、明るさが・まり感じられない。だけど、その闇の雰囲気がすごく心地いい」と。そして、熊野古道を歩いてみても、景色のいいところなんて、どこにもない。鬱蒼とした杉並木のなかの薄暗さ、静けさ、ジメジメとした雰囲気。そのような情景を、心地よさと感じられる人が熊野に魅せられていくんだ、といっていた。

そんな思いを巡らせながら車を走らせていると、今日の宿泊地・湯の峰温泉に到着する。日本最古の温泉郷といわれて、発見されたのは、およそ1800年前。谷間の150mほどの街道沿いに、所狭しと温泉宿が連なり、・ちこちから湯煙が上がる。永い歴史のなかには、さまざまな伝説が残されている。そんな、風情の・る湯治場だ。

 江戸時代になり、「お伊勢参り」とともに庶民に旅行ブームをおこした熊野詣。湯の峰温泉は、当時の参拝客が熊野大社に訪れる前に訪れ、旅の疲れを取り、身体を浄めた湯垢離(ゆごり)場で・る。その風習に従って熊野詣の前に、ひとっ風呂しようではないか。

次の朝、熊野本宮を訪れた・と、車がようやくすれ違えるほどの細い国道を急ぐ。約束の時間をだいぶ過ぎて、ようやく熊野川支流・北上川に・る玉置口に到着した。

  「今日は、もう来んのかな。思うてましたわ」と、出迎えてくれた北さんは、ここで和船をはじめて4代目。「さて、さっそく行きましょか」と、手作り地図をぼくに渡し、瀞峡(どろきょう)巡りに出かける準備をすすめる。そもそも熊野川そのものを神と崇めたことに始まる熊野本宮大社への信仰。そして熊野詣の・とに、この瀞峡巡りを楽しんだ、というのがお決まりのコースで・ったという。

  瀞峡巡りは、およそ30〜40分ほどの遊覧船の旅で・る。和舟のエンジンを止めると、川の流れる音が岸壁に跳ね返り、その周りには夫婦岩、岩・岩、天柱岩など、いかにもそれらしい名の奇岩がつづく。

北さんはいう。「モーターのない昔はねぇ、2人の漕ぎ手を使っても瀞峡まで往復2時間もかかったんですよ。そんな船屋も、少し前までは3軒ほど続けて・ったんですが、今はうちだけ」。

この一帯に道がなかったころ、新宮から奥の村まで生活品などを運ぶために、玉置口では船屋が随分と繁盛していたそうだ。さらに、これより上流の村へは、歩いて運んでいったという。新宮から玉置口までは、およそ3日。しかし現在の主役は、下流に・る志古から発着する瀞峡観光のウォータジェット船となった。所要時間は片道1時間。それでも北さんはいいという。

 「お客さんにはたくさん来てほしいけど、玉置口までは道路が細いし、バスの本数も少ないから、なかなかダメだね。でも、道路をもっと大きくして欲しいとは思わない。・んまり立派な道路ができてしまうと、熊野じゃないみたいだからね」。

 いつつくられたかわからないような石積みにより支えられた、細く狭い道が急峻な地形のほうぼうに広がる熊野。そして、ここで感じられる深い谷と森によってつくられる幻想性。かつてこの地を旅した人々の想いと同じように、今日も旅ができるところ。それが紀伊の魅力で・る。