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特徴

2006
Issue 8
A Kyushu Yen on a Shoestring
By Jono David

お金をかけずに国内旅行? ありえない? そう思うでしょ。でも計画をよくたて、お金の使い方に気をつければ十分可能なんだ。そのほうがより楽しい旅になること間違いなし。

もう来日してかなりの時間がたった。12年ものあいだ住み続けている大阪から一度だけ住み始めた年に外にでたことがある。国内旅行は高いと思っていたから、その時以外でかけられなかったのだ。でも最近、一日8500円の予算で九州旅行をしてきた。活火山、温泉、雄大な山々と気さくな九州の人に触れ合えて、これってめちゃ安くない?

一番高いのは宿泊費と交通費。だから一日2800円のユースホステルや、3500円の低価格旅館、民宿を利用した。交通手段は、11,500円で5日間在来線乗り放題の「青春18キップ」を利用。早起き、早寝して、飲み代をカットしたり、ユースホステルで自炊して旅の予算を下げる努力をした。

大阪からフェリーで宮崎について、すぐに縁結びの神社のある島、青島を訪ねた。

2時間ほどこの小さな島の動植物を観察したり、縞模様を描く鬼の洗濯板の景色を堪能した。

鹿児島

翌日は鹿児島へ。車中から段々畑、農家の家々、水満ちた川、まるで折り紙のように重なる緑豊かな山々を見て、日本にもこんなところがあるんだと感動。鹿児島では火山灰のため傘がいると聞いていたが、僕のいた日は運よく空は晴れ渡っていた。

中園旅館にチェックインしたあと、昔懐かしい、路面電車に乗り込んで市内観光。ナポリ通りから散策をスタートさせ、 甲突川の土手沿いを歩いて回った。高見橋につくまでに、いくつもの英雄たちの銅像を見かけた。

藩主・島津斉彬は明治維新まっただなか、開国論を唱え日本に西洋の文明を取り入れようとした重要人物。鎖国中にもかかわらず、外国との関係を持ち続けたほどだ。

現在も鹿児島の人は、国内外からいろいろな影響をうけている。芸術もその一つ。「鹿児島市立美術館」は、地元の学生たちの絵画と彫刻を展示していた。町の反対側にある、「手織りばたの里」では、40工程の機織技術を学ぶ。なるほど、ひとつ仕上げるのに一年かかるわけだ。

にぎやかな鹿児島にも、たくさんの公園があり、珍らしい魚に目を奪われる「かごしま水族館」、日によっていろいろな姿をみせる桜島がある海辺は、比較的静かに過ごせる。3時間で桜島を回れるバスツアーに参加して、溶岩原や一瞬にして噴出物に飲み込まれた村など見学した。桜島は今も気味悪い音をたてているが、地元の人は気にかける様子もない。
 

長崎

鹿児島が外国にオープンなら、長崎は外国そのものの雰囲気を持つ。原子爆弾で地図の上から消えてしまうまで、長崎は西洋との国際貿易港として栄えていた。1637年に鎖国が始まってからも、幕府公認で中国とオランダとの貿易が行われていた。

当時、オランダ人はたいそう大切に扱われ、彼らを住まわせる住宅をつくるため、人工島が将軍の命によりつくられた。1855年まで、扇型の出島が国内で唯一、西洋との折衝が許された地であった。1904年の埋め立て開発で、出島は取り壊されたものの、忠実に復元された歴史的建築物はみごとだ。

長い鎖国政策に終止符がうたれると、多くの西洋人が入植しはじめる。アルコールから武器までを売買し、大儲けをした彼等が大きなお屋敷をたてた。その一つである、グローバー園は日本最古の西洋建築様式がみられる建物だ。移転された他の6棟の建築も、同様の趣がある。近くの丘からの港の眺めは最高だ。

午前中、北の浦上の近くにある平和公園と長崎原爆資料館に行く。1945年8月9日午前11:02分に原子爆弾は爆破し、24万人の長崎住民の、7万5千人が命を落とした。2km範囲のものはすべてが灰となった。

資料館の中の展示物は悲惨な状況を刻々と伝え、生々しい写真等もあり、心痛む。原爆落下中心地近くには各国から寄贈された彫刻が立つ。ここを訪れた人すべてが、平和を願う。平和の祈りをこめられた、色鮮やかな折鶴が公園内のあちこちで見かけた。

永住したいぐらいに、長崎が気に入っってしまった。でも熊本行きの電車が待っているので旅を続けた。ガタゴトと音を立てる電車が有明海に差しかかると、牡蠣と海草のなかに漁師が朝日に照らされている姿が見えた。その先にはキャンディーが降っているようにも見える熱気球が、目に入ってきた。

熊本

400年の歴史を持つ、熊本最大の観光名所と言えば熊本城、なのに年末で閉まっていた。そこで、中心地から3km離れたところにある、本名寺を訪れた。城の建築を命令した、加藤清正公がここに祭られている。訪れた人は何百という数の石灯篭に驚く。

また町にもどり、高さ9mもある城壁の周りを散歩し、天然壕である坪井川のほとりでピクニックをした。町のシンボルの大名の城は、1877年火災によって焼失されたものの、ほとんどもとどおりに復元されたという。

少し離れたところには、熊本の栄華の時代をしのばせる水前寺(成趣園)がある。藩主細川忠利が300年前に造園させた、個人の庭という。園内には東海道五十三次を模したといわれる桃山式回遊庭園や、清水の湧き出る池がある。

そう遠くないところに阿蘇国立公園もある。九州のおへそ、阿蘇火山。およそ十万年前にできた80kmの幅のクレーターがある。今は農家と村が複雑に織りかさなったタペストリーの様相がなんとものどか。

中央にある五つの山のうち中岳は活火山だ。白い煙がたちあがり、いつ噴火活動してもおかしくない。現実、噴火予知は大変難しいといわれており、それでもブクブク泡をたてている噴火口をのぞきたい勇気のある観光者のため、緊急避難シェルターが周辺に建てられている。

頂上には残雪があり、雲で覆われている。その様子に、阿蘇トレッキング・マップ(観光協会で無料で配られている)にあった牧草に包まれた写真とはえらく違うなぁと思った。阿蘇からバスで草千里へむかい、「千里の草原」という意味をもつ凍った草原を歩き回った。今は、夏ここで家畜が牧草をのどかに食べている姿なんて想像できない。それより、暖をとるために入った阿蘇火山博物館で見てきた迫力ある噴火のイメージが強く残る。写真や説明をみた後は、火山がより一層リアルに思えてきた。

天国に近い阿蘇のてっぺんから、別府の地獄に向かった。地獄から吹き上がる湯の温度はなんと98℃。一見、別府は他の町となんら変わったように見えなかったけど、パイプ、マンホール、裏庭と町のあちこちからモウモウと白い蒸気が上がっていることに気がついた。でも地獄のある、鉄輪の町のほうがもっと、おどろおどろしている。

今度は自分が温泉につかり、ピンクでしわしわになるまで料理される番だ。別府温泉街ガイドの効能によれば、お湯に使ったあとは僕の身体に悪いところはなくなるはず。

あれこれと、いろんな温泉を試し、別府にいるほとんどの時間を裸ですごした。駅前高等温泉ではえらい高い温度でやけどしそうになったし、竹瓦温泉の砂風呂でヘトヘトになったり、浜脇高等温泉の水風呂に凍えたりと楽しかった。でも一番のお気に入りは別府温泉保養ランドの屋外泥風呂!

別府を後にしたときにはさすがにちょっと疲れていた。足がガクガクで、フェリーにたどりつくのがやっと。船のゆれが心地よく眠りをさそう、いやー九州旅行はまるで夢のようだった!