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特徴

2006
Issue 9
Glory of Gion
By Charlotte Anderson & Gorazd Vilhar

毎年、数え切れないほどの祭りが、日本各地で行われる。だが祇園祭の華麗さは他に例を見ない。千年という長い歴史をもち、京の人々が誇りとし、盛大に祝いつづけた豪華絢爛な一大ページェント。世紀を重ねるごとに、変化し、装飾も華やかになった祇園祭の7月は、実に様々な神事、行事が行われ祇園は活気づく。

祇園祭の始まりは、869年の夏に蘇民将来が祇園社(現在の八坂神社)に祭られている天照大御神の弟・素戔鳴尊に疫病退散を祈願したのがその始まりと伝えられている。祈願により疫病が治まったことから、民を守った神に感謝するため盛大な祭事が命じられた。970年には、一世紀前に救済の手を差し伸べた神を讃えるため、復興され、祭は毎年行われるようになった。

山鉾は最高技術を屈指して組み立てられ、価値の高い古美術品、電動カラクリ人形、歴史的な場面や伝説の人物などが描かれた飾り布が下げられる。だが、当初の山鉾は、鉾を載せた台車を片手で引くという簡素なものだった。それも、世紀を重ねるごとに南蛮文化の流入し、山鉾の装飾は豪華に、華麗になっていった。

また祇園囃と呼ばれる、一度聴くと耳に残る笛と太鼓の風情あふれる音が、祭りを一層活気づける。町単位で組織された32台の豪華絢爛な山鉾が、活きのいい男衆の肩に担がれ、または綱で引かれ、京の街に練りだす。なお、山鉾のほとんどは重要有形民俗文化財、巡行そのものは重要無形民俗文化財に指定されている。   

先頭をいく長刀鉾(なぎなたぼこ)には、この地区の10歳前後の男の子から、その家庭、資性、健康などと考慮して、その年に選ばれた生稚児が乗りこむ。稚児は神前で位貰いを行い、昔からのしきたりに従うとともに祭りのあいだ多くの儀式に参加する。「しめ縄切」という儀式は、神聖な縄を切ることが一大巡行の始まりの合図とされ、稚児の最も重要な役目だ。これによって、京都の街は来る年一年、ご利益を受けることができる。

祇園祭は、装飾だけきらびやかに変化を遂げてきただけでなく、千年という間に、いろいろな儀式が加わり現在の規模となった。ほとんどの人が祇園祭といえば、7月17日に行われる、山鉾を思い浮かべるかも知れない。だが、実際にはお祭りは7月のあいだ1ヶ月間続き、この期間、実に様々な神事・行事が行われる。

7月1日には、選ばれた長刀鉾に乗る稚児が、八坂神社に祭りの成功を祈願しお参りをするが、その翌日から各町役人も同様のお参りをする。そして、10日の夕方には氏子が提灯行列で市内を練り歩き、また様々な舞が披露される。八坂神社から神輿が四条大橋まで担ぎ出し、神輿を洗い清め、その後14日間ほかの場所で祭りを待つ。また同時に、この日から山鉾の組み立てが始まる。7月13日、稚児が馬に乗って社参する。この日より数日間、伝統芸能が奉納され、また京都の旧家や老舗は自宅を開放して、普段は見せない京町衆の教養や財力の証ともいえる美術品を一般に公開する。そして巡行の前日には鉾が、市民が拝められるように神聖なる場所へと移される。

山鉾巡行目当ての何万人という見物人が、帰ってしまった後も、奉納行事が続く。7月24日に行われる、花傘巡行はそのひとつだ。山鉾巡行が男性的であるなら、この巡行は、美しい衣装を身にまとった女性、お囃子、踊り子、芸者などで構成され、対照的である。無事役目を終えた神輿は、八坂神社まで担がれ、数日後、また清められ、再びもとの場所に収められる。
華やかな祇園祭りも役員が7月29日に集まると、一切の行事が終了したことを神前に報告し、終わりに近づく。7月の最終日、八坂神社では集まる地元の人々のために夏の厄除け行事を行う。


日本各地から訪れる観光客とっては多くの場合、「山鉾」こそが祭りであろう。しかし京都の人々にとって山鉾は、1ヶ月間続く周到に準備された歴史的神事ドラマであり、地元の人が誇る祇園祭の、ただの一場面にしか過ぎない。儀式と装飾豊かな祇園祭は、祭りをその物を超え、京都の街のシンボルといっても過言ではないだろう。