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特徴

2007
Issue 14
Earth, Wind & Fire
By Taro Muraishi

「薪ストーブをこよなく愛する、尺八師範の自給自足生活」

中央アルプスの麓、長野県駒ケ根市。ポール・キャスナーさんは冬には氷点下10度にもなる、この地で過去15年以上にわたって米国の薪ストーブ「バーモントキャスティングス」の輸入販売を行ってきた。現在、彼は妻の淳子さん、長男・照音(ショーン・00才)君、次男・怜(レイ・0才)君とともに自分たちの食べるものは、なるべく自分たちでつくりながら、子供たちの将来のため、環境をいたわりながら生活を続けている。そんな彼が、日本に来るきかっけとは何だったのだろう? 

「尺八を習いたくって来日したんです。アメリカで、オーケストラと一緒に尺八を演奏するコンサートに行ってね、魅かれてしまったんですよ。それからというもの尺八について色々調べたり、教えてもらえるところを調べて教えてもらったり。そんなことをしているうちに、コネチカット州の大学で琴や三味線、尺八などの日本音楽のクラスがあるのを知りました。そこへ週末だけ、友人たちと尺八を習いに行ったんです。その時の先生が岩本義和さんといって、ぼくが最初に尺八の音色に感動したコンサートで尺八を吹いていた横山勝也先生の弟子だったんです。でも彼に習い始めてから1年くらい経ったときに、岩本先生は日本に帰ってしまった」

尺八には自然の音、風の音を感じた。当時のアメリカにない音。尺八との衝撃的な出会いののち、尺八奏者としての第一歩を歩み始めていたポールさんは諦めきれず、岩本氏を追って単身来日。東京原宿にアパートを借り、尺八の精進に励んだ。

「初めて日本に来た日は、今でもよく覚えてますよ。バックパックひとつで羽田に降り立ったんです。当時の国際空港は羽田。成田が開港する2年ほど前だったんです。アメリカの学校で友達になった人が空港に迎えにきてくれていたんですが、時差ボケのまま、いきなり秋葉原に連れていかれて……。すんごい電気タウン。だから最初の印象は『ゔぁーーーーーーーーー』って感じ。えぇ~、東京ってこんなところなのって思いました。

7月でものすごく暑かったのに、当時のサラリーマンは、みんなネクタイをしていてね。でも、秋葉原に行ったあとで、六本木にジャムセッションを見にいきました。切符買って、電車に乗ったのも楽しかったですね」

しかし、岩本氏に習い始めて3年が経つ頃、先生は尺八の普及のためイギリスへと旅立ってしまった。その後、最も尊敬していた横山勝也氏に従事し、10年を過ごした。

日本に住みはじめて30年になるポールさんだが、当時は、こんなにも長く日本に滞在するとは思っていなかったそうだ。ただ、尺八の演奏を習得するまでには、そうとうな時間がかかるもの。だから、はじめて聞いたとき感動した音色が自分のものになるまでは日本に留まるつもりであったという。

「お金には困っていましたね。英語の学校でアルバイトをしながら、師範になるまでは頑張る。それからアメリカに帰ろうか、帰ったら尺八を教えるのがいいかな、尺八をつくるのもいいかも、などと色々考えていましたね。映画音楽とかにも使ってもらえないかとかも考えていました。ハリウッド映画でも、今は尺八の音はよく登場するけど、あの当時は映画で聴くなんて考えられなかった。でも今後、絶対にウケるだろうなと思っていました。実際に今、すごくウケてるでしょ? 「ラストサムライ(原題:The Last Samurai)」とか、「サユリ(原題:Memoirs of a Geisha)」ね」

尺八の練習に没頭していたポールさんは、1年半ほどしてから住まいを原宿から長野県南部の街・飯田に移し、自給自足的生活を始めていった。道路など通じていない山の中の小さな民家だったという。

「長野に来た理由はふたつ。音がうるさいので、東京のアパートでは尺八の練習ができなかったんです。それと家賃が全然違った。原宿のアパートの家賃は、5万 4000円。飯田の民家は、家賃ひと月5000円だったんです。尺八の月謝も高くて、それに尺八自体も1本35万円くらいするんですよ。それだけ払うのには、たくさん稼がないといけない。だからお金を節約するために夏は野菜をつくって、冬は薪を集めて、風呂を沸かして、薪の火で料理をつくる。お金はそんなに必要のない生活でした」

そして、この民家で生活をしているうちに転機が訪れる。寒い長野の冬に、ダルマストーブひとつで暮らしていたポールさんは、アメリカで見た薪ストーブを輸入。それが、友人のあいだで話題となり、友人、そのまた友人と薪ストーブが欲しいという人が自分にも輸入して欲しいとポールさんに依頼。また、閉校となった小学校を利用した、とある芸術家たちが集まる施設に薪ストーブを設置したところ、予約が殺到した。

「ストーブ屋を始めようなんて思ってもいなかったんですよ。でも、こうなってくると取り付けもやっていたから適当にやるわけにはいかなくなってきた。ストーブの設計や煙突のこととか、もっと勉強しないといけなくなってきちゃってね。そうこうしているうちに、そのなかからストーブ屋を始めたいという人もでてきたんですね。それで、そうした取引を始めるのであれば会社にしたほうがいいと、妻の淳子とふたりでファイヤーサイドを始めたんです」

その後、91~92年頃に現在の駒ケ根に居を移し、87年(昭和62年)に始めたファイヤーサイドは従業員数20人ほどになった。今年で創業してから20年だ。
「自給自足的な生活をしていたので、薪を集めて、枝を落としたりすることも好きだったんです。あまり真面目な英語教師でなかったこともありますが、だから薪ストーブについての仕事ができるのが嬉しかったですね。収入も、ずいぶん良くなりましたしね(笑)」

家々に薪ストーブがあれば、森との付き合いが途絶えてしまった日本に、再びその生活が芽生えるかもしれない。薪ストーブを通じて人々のなかに自然を慈しむ心が生まれることになるかも。これ以上原子力で電力をつくり、石油エネルギーに依存し、原油を輸入するエネルギーを浪費したくない。また、森が荒れはじめている日本だ、薪ストーブは今後絶対に必要なもの。そんな願いで、「バーモントキャスティング」を家々に取り付けているポールさん。その夢は、駒ケ根インターチェンジから中央アルプス・駒ヶ岳へと向かう幹線道路に、薪ストーブとアウトドア道具の店をつくること。そのためにアウトドアが好きなスタッフを集め、彼自身も、よりアウトドアを学びたい。その夢を実現させるために昨年6月、土地と150坪の倉庫を買った。店は年内にはオープンする予定だ。

「そこでは品質が高く、長いこと使えるアウトドア道具だけを売りたい。ぼくは今まで、いつかは自然に帰るものを中心に商売をしてきました。ストーブは鉄でできているから、何十年か使って使い物にならなくなっても、また溶かせば鉄としてほかのものに生まれ変われるでしょ? 斧だって木と鉄です。アウトドアウェアやアウトドア道具はケミカルなものが多いけれど、軽量化や耐久性が必要だからしょうがない。それよりも、そうした道具を使うことによって自然と触れ合い、自然を知ることのほうがはるかに有益ですよね。そして何より、楽しいですからね」

日本に住みはじめて30年になったポールさん、尺八は準師範。ニール・ヤングのCDが途切れると、尺八を手に、そっと目をつぶりながら演奏を始めた。

ポール・キャスナーさんのフィールド
読者へのおすすめは、地元の中央アルプス。いいトレイルがたくさんあって、ロープウェイで標高2600mの千畳敷まで一気に上がっていけてしまうから、 2,956mの駒ヶ岳まであっという間に行けてしまう。少し南へ行った飯田でのラフティングもおすすめだという。子供を連れて行くならカーキャンピングに絶好の、きれいな水の流れる河原もたくさん。混んでしまい、ポールさんが行けなくなってしまうと困るので、場所はないしょ、という。(村石太郎)

Paul Kastner ポール・キャスナー
●母国/米国マサチューセッツ 
●年齢/53 在日30年
●職業/薪ストーブの輸入販売 
●家族構成/妻、子供2人(長男・次男)
●好きなアウトドアスポーツ/
スキー、自転車、シーカヤック、シュノーケリング、山登り
●最近読んで面白かった本/シーザー・ミラン著『Cesar's way』
●最近好きな音楽/エスニック、ジャズ、ロック、レゲエ
●大好物/ざるそば