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特徴

2007
Issue 15
Summit Day
By Blair Falahey

人の評価とは、いかに偉大な人物がつまずき、優秀な人物がいかに行動すべきかを指摘することではない。 その顔が、埃と汗と血にまみれながらも、闘志を忘れない人物にこそ名声は与えられるべきである。
勇敢なる努力をするのは誰か、誤るのは誰か。挫折や欠点がなければ、努力は生まれるものではない。喜びとともに行動し、献身に勤めるべきである。 成功に酔いしれているとき、誰が勝利のいく末を知っているというのだ。
失敗を恐れるとき、そこには敗北しかない。
勝利と敗北を知らざる内気なる魂との同居は避けるべきである

- セオドア・ルーズベルト(第26代アメリカ合衆国大統領


世界一の山を征服するほど、その困難さから考えて身体的、精神的な挑戦はない。しかし、なぜ人は高く危険な山へ登るのだろう。「そこに山があるから」と、人は言うけれど、大きな怪我、命を落とすことさえあるのだから、普通の人には理解できない挑戦だ。 
自分ではなく、他の誰かがやるから、標高8000mの頂上から見る絶景は、さぞ素晴らしいものだろうと安易に想像する。それゆえに、“頂上”に辿り着くために生命の危険をさらす挑戦者に興味を覚えずにはいれない。オーストラリア人登山家、ブレア・ファラヘイ。
8000m連峰を制覇しようとする以外の時間は日本で暮らしている彼と会った。その前に、ぼくは登山家の心理や準備の大変さ、その危険、遠征中にしなければならない様々な判断を、英国の登山家ジョー・シンプソンがアンデス山脈での登山事故のことを書いた『タッチング・ザ・ボイド』を読んだ。

自身の命を守るために友人とつながっているロープを断ち切ることができるか? 逆に友人がぼくのロープを切ったならば、ぼくは彼を恨むか(生き延びた場合に限るのだが。。。)
それ依然に、そんな決断をしなけれならない状況に自分の身をおくだろうか? このようなことを考えると、ブレアの体験にますます感動を覚える。

今を大切に生き、起こりうる危険は、挑戦するために起こりうると考える。まったくもって、エベレストはある種の人たちにとって、まるでサーカス小屋のように楽しいところなのだ。人々は頂上を目指すため、大金を支払う。ブレアのような登山家は、資金を集めるために身を粉にする。
その動機も、その代償も、極めてパーソナルなものなのだ。
   

2006年5月18日。ブレアはシェルパ族のパサング・ヌル(31歳)とカルマ・ゲイジ(24歳)とともに夢をかなえた。エベレスト頂上に立ったのだ。応援メッセージの書かれた旗をしっかりと手ににぎり、風の中で踊り、大きな笑みをみせた。彼は繰り返す、登頂するときより下山のほうが危険なのだという。
下山のとき、下山中に亡くなったと思われる4人分の凍った死体を彼は見たという。 
   
気の遠くなるほどの準備と登山計画が必要だが、彼によると準備が出来ていればいるほど、アクシデントが起こったときのダメージを最小にするという。思いがけない事が実際に起こるものなのだ。だから、まるでお守りのように旗をもっているのだ。しかし、登頂を味わうのもわずか。

生きて帰らねば成功とは言えないのだから、すぐに気持ちを下山に切り替える。 ブレアは子供の頃、友人の父親の登山旅行を聞き、山に興味をもち始めた。自ら、海岸近くの山へ通い始めたという。しかし90年代になると、オーストラリアでサーファーとなり、有名になった。
そのとき登山はといえば、時々行く程度であったという。

転機が訪れるのはインドネシア・バリ、イスラム教の島・ロンボクでキャンプをしているとき。村人にナイフで襲われ、腕を失いをそうになった経験からだ。その精神的後遺症を克服しようとセラピー治療などを受けたが、以来彼は、二度とサーフィンをすることはなかった。 ロシア人ガイドが1996年のエベレスト登頂の記録を書いた「ザ・クライム」に感銘をうけ、ボリビアを旅行することとなった。
2001年には、エベレストのベースキャンプを訪れ、ヒマラヤの虜となった。そして8000m峰に挑戦するため、ニュージーランドの3000mの峰々を登り始める。 そして、2003年。登山を始めてから数年でチベット側から、チョーオユ峰(8,201m)にソロで挑んだ。 「メチャメチャに打ちのめされたよ」と、彼は言う。

登山隊のリーダーは心臓発作を起こし、彼も9本の指が凍傷になってしまった。医者は、彼の身体は寒さに対応できず、高山の登頂は無理だといった。いま思えば、挑戦がまだ早かったのだ。しかし、彼は登山を成功させただけでなく、貴重な教訓を学んだ。アメリカ人で始めて、すべての8000m峰14山を登ったエド・ビエスチュは、登頂するのは自由意志だが、登頂しかからには必ず生きて下りてこなければならないという。 

2004年は、世界で4番目に高いローチェ峰(8,816m)に挑むが、同行のクライマーが高山病になるとともに悪天候のため登頂は断念した。その年の残りは、彼の目標である2006年に行うエベレスト登頂の準備に費やした。

午後10時45分
ハイキャンプからの出発


ぼくを招くように、闇雲のなかに頂上が見える。頂上の少し下に「テヒドラル」と呼ばれる、雪が三角形になったところがある。いくら進んでも、頂上に到着するまでは、まだ先が長い。

初めての遠征時、登攀に時間がかかりすぎることを懸念して、急登してしまったことがある。だが、それは疲れてしまうだけだった。エベレストの斜面には、下山できなかったクライマーたちの凍った死体が山のようにある。
頂上に立つことだけど意識しすぎて、下山する体力、状況を

残していなかったのだ。
8000m級の登山を成功させるには、無理をせずに、余力を登頂日に残しておくことだ。

午前1時31分
ノース・リッジ

とても寒い。だが、天候は安定していた。緊張していないし、早く登りたいと思わないと言えば、ウソになる。シェルパ人ガイドのパサングが、「いい天候だ」とハイファイブしてきた。
その後を決定づける瞬間だった。彼がこれまでに4回エベレストに挑戦して、これまでに成功させていないのは知っていた。

午前2時25分
最初の一歩

エベレストでのファースト・ステップは、驚くほど優しい。途中で酸素マスクのマウスピースが凍ってしまい、苦くなった。バルブを直さなければならなかった。
一番簡単なのはマスクをはずして、手で氷を取ることだ。だが、この標高で行うには高いリスクを伴う。バルブを口内の暖かさで、氷を溶かすようにした。
3000mの北斜面でロープ一本、酸素ボンベのマウスピースに舌を突っ込んでる自分の姿を想像して、笑っていた。

午前4時13分
セカンド・ステップの基部

およそ高さ40mほどの斜面が2つつづくセカンド・ステップ。垂直にそそり立つ、巨大でな斜面にショックをうけた。前のクライマーが登り始める。彼に知識がないこと、体力が十分でないことが分かる。 寒気が襲い、待っている時間が長くなるほど凍傷の危機にさらされる。

前を行くクライマーついては何も知らなかったが、早く登らなければ登頂の夢が消えてしまう。そう思い、悪戦苦闘しているクライマーに近寄った。そして彼の肩に手をあて、僕はこう言った。
「悪いが、君一人の力では登るのは無理だろう。他の人を先に行かせてあげてもらえないだろうか?」

彼は、ぼくが言っていることを理解するのに少し時間がかかったようだが、うなずき、ロープをはずし、横に避けてくれた。 セカンド・ステップは技術的に難しく、また心理的なプレッシャーが与えられる。ゆっくりと、岩の上に登りついた。
上部セクションには、梯子がつけられている。楽勝だと思ったが、その基部にいってみると前方にまた一人クライマーがまだいた。    
彼をまっているあいだに体が冷えてきた。足を動かし、手を雪面に叩いて温めようとする。だが、このような高地では何の役にも立たない。辛抱強くなろうとしたが、結局 「梯子から降りてくれ!」 と叫んだ。そうして、ようやく彼が梯子から降りた。ぼくの番だ。梯子のてっぺんで、高く登り過ぎてしまった。ロープがロープ・アセンダー(登高器)にからまってしまった。
何をやってもうまく行かない。梯子につかまりながら、ロープをはずそうとして疲れてくる。何やってんだと自分で情けなくなる。おでこを梯子につけて、すこし休む。 
「おいおい! どうしてこうなったかより、どうこれを切り抜けるかが大事なんだ」と自分を責めた。ようやくロープを外し、梯子から降りる。

午前5時22分
サード・ステップの基部


日が昇る少し前が気温が一番下がる。とても寒くて、手袋は5枚重ねだ。風が吹き始め、氷の結晶が飛んでくる。立ち止まり、周りを見回し、天候状況を観察した。下の谷への視界は良好で、空は晴れていてた。 

自分のいる場所から5mも離れていない場所に、去年逝ったヨーロッパ人クライマーの遺体が横たわっていた。登攀に時間をかけすぎたため、酸素ボンベの酸素がなくなり、そして雪の上に座り、そこで永遠の眠りについてしまった。彼の冥福を祈り、ぼくは頂上を目指した。困難な登坂が続いたが、頂上はもうそこだ。歩みを止めるものは、何もなかった。夢がかなう手応えを感じていた。 

サード・ステップの上部へと、さらに2分ほど登ると3000mの断崖の上にある、15センチほどの岩に立っていった。ここで落ちれば一巻の終わりだ。

午前6時38分
頂上へのリッジ


短くフラットなセクションを苦労して登る。少し息があがっていたので休憩を入れる。もうサミット・リッジにいる。あと100mで頂上だ。エベレストの頂上が目に入る。喜びをおさえるのが難しい。が、冷静に努める。少しづつ頂上へ近づく。

午前6時48分
登頂


あと少しのところで歩みを止め、息を整える。色とりどりの旗と酸素ボトルが散らばっている。サミットまで、あと数m。そこを、また登り始める。 とうとう辿り着いた! ひざまずいて、神聖なる地にキスをした。おさえていた感情が一気にあふれて、涙が出てきた。 
涙がゆっくり目にたまり、頬をつたって落ちていく。
手が方に当たるのを感じて振り向くと、パンサングが抱きついてきた。彼も泣いている。彼は5度目の挑戦で、エベレストの登頂にようやく成功したのだ。 登頂後、まず始めにしたことが父親への電話だ。衛星電話を取り出し、父親の番号をダイアルる。トーンが鳴る。父の声が電話ごしに聞こえた。

「サミットだよ、サミット。サミットなんだ。父さん、ぼくは今エベレストの頂上に立っているんだ。とうとうやったよ、僕はトップ・オブ・ザ・ワールドにいるんだ!」

「息子がやったよ。頂上にいるよ。やってくれたよ、ほんとにやってくれたよ」という父親の声が聞こえた。世界でもっとも高い場所から、家族と話しをしているなんて信じられない。 座っていると、寒くなる。カメラが使えるか試す。シャッターボタンを押す 「イェエエエエス!」 なんて幸運なんだ!

他の人の写真ばかり取っていることに気付き、自分の写真も、と他のクライマーに頼む。シェルパ族のガイドとポーズをする。星条旗をとりだす。自分のそばではためくように左手に旗を持つ。 しかし、頂上には辿りついたものの、登攀はようやく半分終わっただけだ。だが、ぼくより高い所にいる人はいない。
この現実は、誰もぼくの記憶から取り去ることができない事実だ。

45分
頂上にいた時間


幸運なことに下山はスムーズだった。
しかし、ハイキャンプでの天候は急速に悪化し、今にもテントが飛ばされそうだ。
ここで一泊して、翌朝下山をすることにした。
エベレスト登頂から帰ってきてからというもの、様々な人から、なぜ登ったのかを聞かれる。

勇気あふれた名言を言いたいが、自分のためにやったんだとしか答えられない。人生において困難に打ち勝つためにやったのだと。 この登頂のため、長い期間をトレーニングに費やした。

雨の日も、雪の日も走った。世界で一番高い所にある、雪と岩の小さなスペースにたった数分の立つためだけに高額な費用を払い、膨大な時間を使った。
   
ブレア・ファラヘイは3月、ローチェ峰へ再び挑むため向かった。
最新情報は彼のWebサイト(www.blair8000.com)でチェックできる。