>  屋外日本雑誌  >  Issue 19 : 11月/12月 2007  > 特徴 >  The Camotes Islands

特徴

2007
Issue 19
The Camotes Islands
By Frank Spignese

カモテス諸島・隠されたフィリピンの天国

台風がマニラをようやく通り過ぎた。次の地へと旅立つことにしよう。もともとの計画では、東京を金曜に出発。土曜日をフィリピンの首都で過ごし、日曜日の朝には南のパラダイスに到着している予定だった。でも実際はそうはうまく行かなかった。到着した日に強力なストームが南から北上し、予定より3日も長くマニラに足止めをくらってしまったのだ。

都市化反対。マリファナ吸って、ビーチで何にも考えずに過ごすのがアジア旅行の醍醐味だと思っているバックパッカーたち。どうせ彼らのご意見だろうが、マニラは恐ろしく汚い町と聞いていた。
マニラはまさに驚きの連続だった。怖い噂はすべて正しかった。マニラを知るとバンコックがまるで、パリのように思えてくる。南アジア版、デトロイト・シティといったらよいか。とにかく、ここから早く脱出したい気持ちで一杯だった。
12月のボラカイビーチは、パーティー好きの旅行者で満杯の状態。セブ島のビーチとサーフィンは当たり外れが大きいし、パラワン島はジェット・スキーやスクバーダイバー向けのリゾートだ。

とにかく、プチ昏睡状態と言っていいような、リラクゼーション・モードにいたりたかったので、ぼくは行き先を少し離れたカモテス諸島に決めた。セブ島からボートで1時間東に行ったところにあるカモテス島は、10年ほど前に訪れた、タイのコサムイ島のような手付かずのリゾートだ。だが、アクセスは悪い。マニラから飛行機で飛びセブに入ってから、カモテス島のもっとも大きなポロ港にボートで着岸。そして、おんぼろバイクでジャングルと通り抜けなければサンチアゴビーチには辿り着かない。物語に出てくるような村、絵に描いたような田園風景を横目に、こぶのある、くねくね曲がった砂利道を進んでいくのだ。

カモテスで一番驚いたことは、道路脇に点在する教会の数である。フィリピンはアジアの中でももっとも、キリスト教が浸透した国と言っていいだろう。それがカモテスの田舎道で一番証明される。ローカルは平屋の質素な家々に住む。それに引きかえ、教会の建物は高く立派にそびえている。クリスマスが近いこともあり、教会には緑と赤の飾りがしてあった。

バイクに揺られること一時間、最南端のサンチアゴビーチに着いた。こんなに自然のままに残された海岸をかつて見たことはない。馬蹄形をした小さな入り江には真っ白な砂浜、ちいさな船2艇、そして3人の子供が石投げをしている。それ以外は一切何もない。他のビーチにありがちな、ボブ・マレーの音楽がスピーカーからガンガン流れていたり、黄色のバナナボートに揺られ奇声を上げたりする客もここにはいない。することといえば、ただ波の数を数えるぐらい。

たったひとつのホテルは「サンチアゴ・ベイ・ガーデン・アンド・リゾート」。これが清潔で、恐ろしく安い。部屋はいたってシンプル。だが十分だ。夜は波の音を聞きながら眠りにつける。

パティオレストランはまあまあだ。しかし、それでも一品100ペソという値段だから文句は言えない。フィリピンにグルメ料理を食べに来る人なんていない。フィリピンに美食を求めに来るなんて、バーに居心地のいい椅子を求めているようなものだ。僕はただリラックスしたかったので、カモテスにきて正解だった。到着してからの3日で、浜辺でごろごろしたり、ハンモックに揺られながら高校4年間で読んだよりも沢山の本を読んだ。サンチアゴのビーチは引き波などなく、本当に穏やか。ただ、浅瀬に多く散らばるヒトデには困った。深いところまで行くときは、ヒトデを踏みつぶさないように、つま先で歩かなくてはいけない。

三日間、ほとんど運動らしい運動をしなかったので、だんだんと文明が恋しくなり、島を少し探検することにした。カモテス島は、実はふたつの島(パシハン島とポロ島)からなっており、小さな橋でつながっている。隣のパシハン島のサンフランシスコの町は外国人がめったに訪れない、活気のあるマーケットがある。町の中心地の広場には、新約聖書やフィリピンの歴史の重要な場面を描いた壁画がたくさんみられる。そこでぼくは、地元の食材を試食してみる冒険をすることにした。

露天で売られているバロットはまさに、ゲテモノ食いのコンテストそのものだった。これは孵化される前のアヒルの卵を過熱したものだ。東京でも納豆、ふぐや馬刺しを試したことはある。でも、バロットは抵抗があった。露天の商人が「卵が産み落とされて17日目、今が食べごろだよ」と教えてくれる。面白半分の地元の人々が僕の周りを囲む、僕は殻をむいてみる。中には悲しげな格好をしたどろどろのETのような生き物がいた。 「えーい、こんな旧世界体験は2度とできないんだ!」そう、自分に言い聞かせ、食べた。エッグ・マクマッフィンと痰の中間のような味がした。媚薬効果があるらしいのだが、僕には何の効き目なかった。そしてパイナップルをほおばり、後味を消した。
バロットの冒険はちょっと刺激が強すぎたので、またサンチアゴビーチの静かな世界へと戻った。そして、オペレーションの2弾目“究極のリラックス”に突入。次の4日間は、もっと本を読み、
“アクアマン”よりも泳ぎ、誰もかつて見たことが無いほどの見事な夕日を見て過ごした。 一週間の休養と休息は終わり、ボラカイに移動して友達と落ち合う時が来た。下着一丁で、友達とバカ飲みして羽目をはずすのを考える心がウキウキとしてくる。しかし、地上の天国を去るのは悲しかった。この後の2週間、僕はバギオでハイキングをしたり、タリセイで噴火口を見学したり、リンガエン湾でカヤックをしたりしてフィリピンを満喫した。しかし、思い出にもっとも残ったのはカモテスの静かで美しい浜辺だった。

ESSENTIAL INFO: THE CAMOTES

マニラからカモテス諸島へは、多少の忍耐力があり、事前に計画しておけば難しくない。
一年を通してマニラからセブへの飛行は問題ない(クリスマスとイースター時期はフィリピンの人でごった返すので要注意)。フィリピン航空とセブ・パシフィックをおすすめする。マニラを経由すると混雑し、ストレスレベルが上がること間違いなしなので、できればセブへ直行することをすすめる。

セブからのアクセスは2通りの方法がある。ひとつはセブからフェリーでカモテス諸島に行く方法。フェリーの運行は、一日一便だ。しかも、ぼくが訪れた時には全く運航されていなかった。パラチオ海運(深夜のみ運航)とソーコー海運が安全に運航されればいいのだけど。フィリピンではフェリーの沈没事故が多発しているので、快晴で海上での視界がよいときを選ぶのが懸命だろう。
もうひとつの方法はバス、またはタクシーでダナオの北まで行き、フェリーに乗るというもの。バスの所要時間は1時間で50ペソだが、僕はより快適に行きたかったので200ペソで運転手を雇った。ダナオは味気ない猟師町、きれいなビーチはなく、フィリピン隋一の銃製造の町として知られている。ここで足止めをくらうなら、イントサンリゾートに宿をとろう。

僕が訪れた日はフェリーが時刻どおりに運航されてなくて、随分待たされた。フェリーの時間については、まちまちの情報が錯綜しているのでメインの桟橋にいる人に聞いたほうがいい。僕が行った日は2時間で到着、50ペソだった。だが、変更されている可能性もあるので要注意。

ポロの港についてからは、バイクのドライバーを雇うか、バイクを借りての移動になる。ジープニーは数少なく、他に車はない。パシハン島から橋を渡り、サンチアゴビーチにたどりつくには、バイクしか手はない。
「サンチアゴ・ベイ・ガーデン・アンド・リゾート」はたったひとつのホテルなのですぐに見つかる。扇風機付のダブルの部屋が約500ペソだ。

セブに戻るには、来たときの逆のルートで帰る。フェリー乗る前に必ず天候をチェックしよう。僕の場合、セブ島に着いたのは朝の5時で、暗くて天候条件を判断できなかった。港をでて一時間ほどたった頃、嵐に向かっているのに気がついて、気が気ではなかった。
フィリピンではフェリーの安全運航が重要視されているとはいえない。そのため、定員をオーバーしたフェリーの転覆事故が後を立たない。フェリーに乗る際は自分で状況をよく見て判断すること。