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特徴

2008
Issue 20
Southern Passage: Skiing the Antartic Peninsula
By Chuck Olbury

 4日間の日程で、南極半島へと向かい、山に登り、スキーで降るという計画は無謀だろうか? いや、なんとかやってのけた・。
失敗してしまえば、ぼくたちの挑戦は愚かな挑戦と見なされてしまうだろう。今いる場所から3000mほど滑走したところに、「スピリット・オブ・シドニー」号が停泊している。このヨットでアルゼンチンから南極へ、そしてドレーク海峡を通過して800kmを航行してきた。

この65フィートのヨットに初めてであったのは、今から3週間前のことだ。ドレーク海峡の波の高さは、ときに 10mに及ぶというのに、こんなちっぽけな乗り物で持つか不安になり、考え直したほうがいいのではないかと考えた。ドレーク海峡は、世界でもっとも荒々し い海域だ、しかも、ぼくは一流の船乗りなんかではない。

最悪の状況に備えて、救急箱の半分はタブ レット状、パッチ、座薬、そして注射などの、ありとあらゆる船酔い止め薬で一杯だった。脱水症にかかったときのために点滴まで準備した。出発前に、みんな で、注射を打ちあう練習をした。今でも、血管をはずしてしまった時のアザがある。

海峡を渡る前に、チリの最南端・ハーシェル島に避難場所を探し、待機した。気圧図によると、いくつもの低気圧が海峡上にあった。進行方向と逆の南西風が吹いていたのだ
二 日後、ようやく天候が回復に向かった。オーストラリア人、ニュージーランド人からなる遠征チーム全員で、「登頂し、スキーで降りるぞ」という誓いを書いた 紙をボトルの中に入れ、ホルン岬で海に投げ入れた。波に揺られるボトルを見つめる皆が、心にある不安を隠し、勇気を奮い立たせているのがわかった。

航海中は、昼夜を問わず交代でデッキでの見張りを2時間づつ、2段ベットで4時間を眠るようにした。デッキには3人が常駐し、1人が舵取り、もう1人が話し相手、3人目が揺れる調理室で何か食べるもの、たいがいはトーストをつくるといった具合だ。

3人の任務は、船の方向を正しく守ること。だが、風の方向が変わり続けるので、これが簡単ではない。帆の向きを変えるときには、ロープを引いたり、放したりという作業を機敏にこなさなければならない。
航海を続けている間に、時間の感覚がわからなくなってきた。

南へ、南へと進むため、緯度が高くなるごとに日が長くなり、日が暮れないのに、翌日になる。一週間のあいだ、景色といえば終りのない海という日が続 いた。時折、挨拶するかのように、ザトウクジラが船の周りを回遊する。そのほかの出来事とといえば、アホウドリがヨット周辺を飛んでいるぐらい。とある言 い伝えによると、アホウドリ=アルバトロスは遭難した船員の生まれ変わりなんだという。

ぼくらは、ドレーク海峡が穏やかなときは「ドレーク・レイク」、荒れ狂っているときは「ドレーク・スネーク」と呼んだ。ひどい揺れに起こされ、あわてたことがあった。船酔い防止用のパッチを、耳の後に落ちてこないように強く張り直したこともある。

突然、大きな波に襲われ、船が横になる。デッキに向かって呼びかけるが、何の返答もない。しばらくして「大丈夫だ!」と返事が返ってきて、安心する。

後日、そのときの話を聞いたら、デッキに体をハーネスでつないでいたので、何とか船から放り出されずに済んだのだといいう。

陸 地を目にして、これほど嬉しかったことがあっただろうか? 海水から浮きあがっているスミス島が見えてきたのだ。船で南極半島を進みながら、2000m級 の峰々の眺め、氷河がアイスブルーの海に落ちていくのが見える。小さなものでもコンパクトカーほどのサイズがある氷河をよけて航行するのは、至難の業だ。

半島がぼくらの世界になった。ヨットからスキーができそうな山も見えた。登攀を開始する地点までは、迎えに来るはずの小型ボートに乗り換えて移動する。流れる氷山の間に挟まるような事態に備え、一週間分の食料も用意している。
海が荒れたため、デライト島と呼んでいた島で足止めされ、出発が遅れていた。しかたなしに、強い風をおそれながら、ペンギンの糞床にある岩のしたにキャンプを張ることにした。見慣れない僕らの出現でさわぐペンギンたちの鳴き声に何度も起こされることになった。

フランシス山が、ぼくらの最後の滑走予定地になるはずだった。ウクライナの基地の気象スペシャリスト、ヴァナード・スキーによると、半島は一年のうち300日が曇りで、僕らのスケジュールには無理があるという。しかし、ぼくらは彼のアドバイスを聞かなかった。

初日、登ろうとしているルートには雲が垂れ込めていた。そのうえ、唯一の地図は海図で山の地形の情報などなかった。ヴァナード・スキーのところで見た航空写真には、ブル・リッジの西側に傾斜があった。僕らは話しあい、そこが一番いいルートだと結論づけた。

2日目、空は晴れ渡り、大きくそびえる頂上をみることができた。しかし、登り始めると雲が空を覆い始め、周辺の景色は見えなくなった。前進するには、手探りで進むほかなかった。
山の静けさはときどき、大きな雪崩の音で破られた。雪崩がどこで起こっているのかもわからず、音を聞くたびに不安な思いで行く先を案じた。標高1000m地点で、雲の上へ。キャンプを張る頃には、美しい雲海が眼下に広がっていた。

翌日は、快晴を約束するオレンジ色の朝日で目覚めた。いい天気が続くというニュースに皆、大喜びだ。無事、氷瀑とクレバス地帯を切り抜けた。

6時間後、ぼくらは頂上へと到達し、南極半島のもっとも高い位置に立っていた。同時に、長い人生の頂点にも達していた。北にスチュワート島、南にレマイレ 海峡。そして、自分たちが航行してきたドレーク海峡が広がっている。眺めを堪能したあと、スキーの準備にとりかかった。そして、人生最高の3000m越え の斜面を滑走、一気に海に向かって滑り降りた。