>  屋外日本雑誌  >  Issue 21 : 3月/4月 2008  > 特徴 >  Q4: An interview with Leo Houlding

特徴

2008
Issue 21
Q4: An interview with Leo Houlding
By Gardner Robinson

 六本木の寿司屋で、僕の新しい知人が牛一頭も食べてしまいそうな量のわさびが乗った寿司をぱくつき、冷たいビールを飲む。僕はそれを見ているだけで、目から涙が出そうになった。目の前にいるのが冒険家であり、ワールドクラス・ロッククライマー、ベースジャンパー、そしてエクストリーム寿司ラバーのレオ・ホールディングだからだ。

六本木の寿司屋で、僕の新しい知人が牛一頭も食べてしまいそうな量のわさびが乗った寿司をぱくつき、冷たいビールを飲む。僕はそれを見ているだけで、目から涙が出そうになった。目の前にいるのが冒険家であり、ワールドクラス・ロッククライマー、ベースジャンパー、そしてエクストリーム寿司ラバーのレオ・ホールディングだからだ。

その数週間後、僕らはブタンのティンブーで再度偶然、出合った。街の公園で、友人とフリスビーをしていると、レオが駐車場からこちらに向かって歩いてきたのだ。彼はテレビ番組の仕事で「リング・オブ・ファイア・フェスティバル」と3日間のトレッキングから、帰ってきたばかりのところだった。

 そして、6回のテレビシリーズの収録を終えた彼に、また会う機会が得た。

テレビのホスト役を務めるのは、今回が初めてなんだろうか?
 「そうだよ。最初はちょっと難しかったけどね。でも、楽しかったよ。でもテレビ業界は面白かった。3ヶ月ちょっとの期間で、6回分の収録をしたんだ。その中で、僕がマサイ族の戦士たちの生活を体験し、彼らに僕らの冒険に参加してもらう異文化交流も番組内でやったんだ」

じゃ文化体験と冒険旅行の両方なのだろうか?
「そうそう。僕はマサイ族の伝統に従ってナイフで牛を背骨から殺し、息絶えようとしている牛の心臓から血を吸った。その後、マサイ族の戦士をロック・クライミングに連れて行き、綱渡りをしてもらったんだ。彼らはすごく気に入ってくれていたよ。きっと、アドベンチャーを楽しんだマサイ族のほうがラッキーだったんじゃないかな? 最終回のオマーンでの収録も、最高だったよ。

最後のシーンはオマーンのジニー洞窟。入り口は12m。暗くて、パラシュートを開くための時間が充分になくって、とっても怖かった。でも、奥はカテドラルみたいで、調べるために懸垂下降した。番組だとスタッフとか周りにいて緊張したよ。仲間とふざけているのとは、ちょっと違う。でも番組的にはいいエンディングだったね」

 彼は、どのようなきっかけでクライミングを始めたのだろう?
「僕はもともとロック・クライミング発祥地である英国・湖水地方出身なんだ。この地方のロック・クライミングの歴史は、貴族がアルペンクライミングをしていた 1850年にまで遡る。僕の父もヒル・ウォーキングをしていたし、彼の友達の中にはロック・クライミングをしている人もいたから、典型的な山登り愛好家の環境のなかで育ったんだ。僕も最初、ヒル・ウォーキングから始め、その後は自然にロック・クライミングへと移っていたんだ」

イギリスでのクライミングシーンには何か変化があるのでしょうか?
 「インドア・クライミングはすごいね。クライミングへの興味は高まっているのに、キャンプファイヤーを夜どうししたり、岩山の下のテントに泊まったりというような伝統的ロック・クライミングをする人は少なくなってきている。ただ、ボルダリングはすごい人気だ。最近のクライマーは、ロープさえ持っていない人がいるぐらいだよ」    

では、あなたが尊敬するクライマーは誰でしょう?
「70年代の英国人クライマー、アレックス・マッキンタイヤーとアル・ラウスは尊敬に値するね。それに、平山ユージ。彼は国際的に有名な日本人クライマーで、ワールドチャンピオンに数回(1998年、20000年に優勝)。彼は他人のクライミングを見ることもなく、最初のトライで完登する。オンサイトを何回もやっていてすごい。

僕らは1920年代の機材を使って、『ワイルデスト・ドリーム』というタイトルの映画を撮影したんだ。これは今夏、世界中で公開される予定だ。リーダーのコンラッド・アンカーやヒマラヤ経験豊富なラッセル・ブライス、素晴らしいシェルパ人のアング・ファーバーといった僕の夢をかなえてくれた人々に感謝している。

最近、登山家のヒラリー卿が亡くなったけど、彼から影響を受けたことはありますか?
「彼には数年前、カナダのバンフで合ったことがある。エベレストに登頂した後の、彼の生き方をとくに尊敬するよ。彼はシェルパ族のために学校を設立するなど、いろいろな人道的な活動を行ったんだ。彼の偉業は、ヒマラヤ登山に関する情報が少ない時代に、あの世界一の山に登頂したことだ。現在のヒマラヤは環境に適合でき、経験のあるガイドを雇えば、誰もが登頂できてしまう。でも、あの時代は、高地が人体に与えるの影響など知る由もなく、まさに未開の冒険だっだ」

2007年の6月。レオは、エベレスト登頂に成功した。
「子供のころ、バードという先生が、マロリーとアーヴィンが行方不明になったことなど、エベレストについていろいろ教えてくれた。話を聞いて、自分も本当に登ってみたくなった。実は、最近の登頂ブームの騒ぎにはうんざりしていたんだけど、『アルチチュード・エベレスト・エクスペディション』との遠征話があったので、断るなんて考えられなかった。子供のころの夢をまた思い出したんだ

僕らは1920年代の機材を使って、『ワイルデスト・ドリーム』というタイトルの映画を撮影したんだ。これは今夏、世界中で公開される予定だ。リーダーのコンラッド・アンカーやヒマラヤ経験豊富なラッセル・ブライス、素晴らしいシェルパ人のアング・ファーバーといった僕の夢をかなえてくれた人々に感謝している。

それに、エベレストの北壁からの景色が素晴らしかったよ。頂上で10分くらい一人きりになることができたしね。登った時期が遅かったので、他に誰も山にいなっかったんだ。エベレストにしては暖かくて、素晴らしい気候だったんだけど、その10分間で色々な事を思い出した。思わず幸福な気分にひたってしまって、自分がデスゾーンと言われる場所にいるのを忘れたほどだった。もちろん、すぐに我に返って下山し始めたけどね。それに、旅の直前。義理の父親が亡くなっていたんだ。彼は50年ものあいだクライミングをやっていた人だったんだけど、彼の写真を頂上まで一緒だったんだ」
 今までの登山で、何か自慢できるものはありますか?
 「米国のヨセミテは、ぼくの一番好きな場所。あそこにある3000フィート(約914m)のエルニーニョに登ったことかな? 33ピッチに一回は墜落した、大変な登山だった。墜落しなかった人は、いまだにいないほどなんだ。2回だけ成功した人もいるぐらいだ。平山ユージの2004年は惜しい挑戦だった」
     

 ベースジャンプと綱渡りはどうして始めたの?
「僕は、世界でもっとも大きな岩山でフリークライミングするのが一番好きなんだ。だから、登ったあとは降りるのも大変なんだ。下山に2〜3日かかることもある。頂上から落下すれば、2〜3分で地上だ。クライミングから、ベースジャンプに興味を持つのはごく自然なことと思う。

また、ビッグウォール・クライミングにいい場所は、たいがいジャンプにも最適なんだ。1999年、ノルウェーで登山をしている最中に、頭上から何か音がしたんだ。思わず身を縮めて、岩が落ちてくるのを待っていたよ。そしたら、男が奇声を上げて落下してきたんだ。それが、ベースジャンプを初めて見たときだった。それから自分もレッスンを受けて、2003年にカリフォルニア州のサクラメントで挑戦した。

綱渡りは1998年頃、ヨセミテでクライミングができない日のために始めたんだ。いまも、色んなところでやっているよ。ハイ・ライニングもその延長からはじまったんだ。驚くほどの人気だけど、綱渡りをする人の中にはクライミングをまったくしない人がいるぐらいだ」
ジャンプは安全というけど、命を失った人々の話しをよく聞きます。注意する点や、このスポーツの現状はどうなのでしょう?
「細心の注意を払い、無理をせず、安全な場所で行えば大丈夫。でも、地形と気象をよく観察して、コードを高い位置で引くことを忘れちゃいけない。危険をともなうベースジャンプに挑戦したい人は、限界を超えたことをしたがる人が多い。安全なジャンプで満足しないから、危険が高くなるんだ。
     
経験やスキルがない人は、エクストリーム・スキーでもビッグウェーブ・サーフィンでも、自分が何をやろうとしているのか、わかっていない場合が多い。こうなると命を落とす危険が高くなるよね。それに、アメリカの国立公園、都市での違法ジャンプが、ベースジャンプに対する評価を落としていると思う。フランスでは最近ベースジャンプを、合法的なマウンテンスポーツとして認め、安全性を高める動きがある。ベースジャンプ用の保険もあるって聞いているよ」
 
鳥のようなコスチュームを着て、崖を飛んでいましたね。あれは何でしょう?
「あれは、ウィングスーツさ。注文したんだ。ウィングスーツ・フライは、飛び降りたところから遠くに飛べるスーツなのさ。でも、新しいのはプロクシミティーフライといって、崖の近くギリギリで飛ぶんだ。めちゃくちゃ怖いし、かなりの技術が必要なんだ。時速300kmで落下するんだ」

 クライミングに広報活動、テレビ出演と多忙だけど、何があなたを駆り立てるのでしょうか?
「フルタイムのクライマーとして、ちょうど今年で10年目になる。チャレンジ精神溢れる人々に出合う機会にも恵まれてきた。スタンダードはいつも塗り替えられるので、いつも勇気づけられるんだ。ロック・クライミングだけに限らず、挑戦することは僕の人生。やりがいと、前向きな人生に役に立つ。きっと誰でも冒険をすればするほど、人生も豊かになるのだと思うよ」

最近ベルグハウスの日本上陸のために来日したらしいけど、どういうきっかけで、やることになったの?

「この10年、ベルグハウスのスポンサーを受けているんだ。彼らの本社が生まれ故郷の近くだったということもあって、1997年からの関係だ。ベルグハウスは常に、ギアを開発し続けているし、僕にも本当によくしてくれるんだ。2002年に事故で怪我をして、回復するかどうか分からないときでさえ、様々なサポートをしてくれたんだ。こんなスポンサーは珍しい。事故以来、ベルグハウスがどんな会社かということがよくわかった。『信用は勝ちとるもの』という、彼らのかつてのキャッチフレーズだったのもよく納得できる」

次はいつ日本に来るのだろう?

「日本は大好きだよ。ぜひ、また来たいね。日本は食べ物がおいしいしね。今度は秋の紅葉を見たり、ユージと一緒にローカルの山に登りたいな。僕の好きなクライミングは、ディープウォーターをソロで挑戦すること。トラヴァースするか、ボートで向かい、20mぐらい登って、海へ飛込みむんだ。束縛するものが一切なくて、とても気持ちいい。どこか、いい所が日本にあるかな?」