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特徴

2008
Issue 21
Full Circle
By 久米 満晴

「日本一周の旅」

 それは多くの 人が、やってみたいと思うこと。本誌の読者なら、ほとんどがそう思っている、いやもう既に、青春18切符を使って鈍行列車で、野宿しながらオートバイで、 はたまた悟りの領域ともいえる自転車で、日本一周した強者もいるだろう。僕はそんな旅をしたいと思いながらも、なかなか出来ないでいた。

「日 本一周をやろう」。そう心に決めてから3年が経ち、行って来たのは2年前。そう、あれから今は5年経っているのです。旅の直後というのは、達成感と目標を 終えた虚脱感とで、旅をゆっくり振り返れなかったと思う。今、旅を終えてから2年が経過して写真日記を見ると、ちょっと熟して見えてきた。

僕の旅は、こんな旅だったまずはじめは、旅のイメージを膨らませていった。期間は夏を挟んだ半年間。旅のコースは、鹿児島から日本海側をずっと北上して北海道まで、そして帰りは太平洋側を南下

四国にも渡ろう。道中、日本中の海でサーフィンして、写真を撮るのが楽しみだ。でも本当にやりたい事は、波や、サーフィンや、自然のなかから撮って感じてきた写真。それを、多くの人に見てもらうこと。僕は8年間、そんな写真を撮りに種子島に移り住んでいたのだった。

種子島に来たときは妻と犬1匹。ところが旅に出る頃には、子供が2人生まれ、犬も1匹追加して、4人と2匹の大所帯になっていた。そして、子供が小学校に入ったら、長い休みは取れない、という背水の陣。先にのばすことが出来ない状態。

移動手段には、4人と2匹というチームなので、大き目の車がいいだろう。それを探すこと半年。見つけたのは中古のテレビ中継車。これなら天ぷら油を積める 倉庫が、はじめから出来ている。天ぷら油? 別に屋台のコロッケ屋をしながら旅をするつもりではなくて(後で、それも面白かったかなと思ったのだけれ ど……)、車の燃料にしようという作戦だった。アウトドアメーカーのパタゴニアのカタログを見ていたら、車に天ぷら油を入れて、走っていた。これにしよ う! 即決。どれだけ大変か、何も考えず。

それまでは、空想の中だけだったけれど、中古のテレビ中継車を手に入れたことで、旅のスイッチが入った。まず、その愛称は「ムーンボウバス」にした。はじめから施されていた色の三原色ラインが虹のようで、夜には月明かりで見える虹、ムーンボウにしたのであった。

男にとってキャンピングカーのような大きな車を手に入れることは、とても大きな喜びだった。でも喜んでばかりはいられない。もう後には引けないプレッ シャーもあったのだ。何故かというと天ぷら油を燃料にするのは、簡単なことではなかったから。それもそのはず。簡単なら、みんな昔から使っていたはずだ。 調べていくと、温めてサラサラの天ぷら油にしてエンジンに流し込めばエンジンは回るけど、止めた後にエンジン内で冷えて固まり、回らなくなるというのだ。 せっかくの旅も、途中で止まっては台無しである。その対処法として、綺麗な燃料をエンジン停止前に流し込めば、エンジン内に天ぷら油が残らない、という記 事を見つけ、天ぷら油からバイオディーゼル燃料を作り、それをエンジン停止前に流し込むという計画に辿りついたのだった。

バスには天ぷら油を温めるヒーターをつけ、燃料タンクをひとつ増やし、切り替えスイッチをつける。バイオディーゼル燃料については、知識は乏しく、作り方も、科学の分子配列だの、ペーハーだの、化学反応させなければいけず、知りたいことを教えてくれる人さえいない。

しかも単純に、車に詰めるような簡単な装置でなければ、旅をしながらでは使えない。天ぷら油で旅をすると言った以上、後には引けないのに、出発予定 は迫って来る。そして、天ぷら油作戦と同時に、旅で大画面にプロジェクターで写真を映す、移動式映写会をしようとしていたので、8年間撮りためた写真を全 て見直して、30分ほどの作品を作っていたのだ。

その作品作りに熱が入り過ぎて、時間がかかってしまった。天ぷら油作戦は、なんとか20L の小型製造機が出来て、試作品も完成。ちょっと走ったら止まらなかったので、あとは旅用に200Lほど作り、ろくに試験走行もせずに、家財道具と家族4人 犬2匹を積んで、島を出発! という慌しいスタートとなったのだった。

鹿児島に渡り、バイオディーゼル燃料で海沿いをスイスイ走る。絶好調だった。そして町から離れた頃、天ぷら油そのままの燃料に切り替えてみる。とこ ろがプスン・プスン・プスンと10分もしないうちに、バスのエンジンは止まってしまったのだ。フィルターが詰まった以外に考え付くところは無く、エレメン トを交換。バイオディーゼル燃料に切り替え、エンジンをひたすらキュルキュル回し続けると、ブルンブルンと回りだす。なんとか走り出した。

そ の場はしのげたけれど、これは大きな誤算。天ぷら油そのままでエンジンは回ると思い込んでいて、フィルターが10分で詰まってしまうとは思ってもみなかっ たのだ。もちろんタンクに入れる前に、一度沸騰させ、一晩寝かせて上澄みだけをストッキングでろ過した、綺麗なつもりの使用済み天ぷら油だったのにであ る。

公園の駐車場で天ぷら油を一晩中焚いてみたり、コーヒーフィルターで一滴一滴落としてみたり(これは半日やって1Lしか出来なかったのでやめた)、様々な 方法を試したけれど、10分が限界だった。それは、突然のエンジン停止に、つねに怯える旅の始まりだった。旅を始めて一週間たっても、鹿児島から出られな いでいた。

バスは捨てることのできない液体で一杯になり、天ぷら油の余地がなくなってしまった。困り果てているところに、天ぷら油から燃料を作っているサーファーが、佐賀県にいるという情報を聞く。

佐賀県まで頑張ろう。そこが、旅の第一目的地になった。途中、熊本では、親切なサーファーに出会い、映写会を見てくれるというので、第1回映写会を行った。気分が落ち込み気味の家族に、旅先の親切な人の出会いは、身にしみて嬉しいものだった。

なんとか佐賀にたどり着くと、ここなくして、この旅は続かなかっただろうと思うほどの知識と、惜しみない協力をいただいた。さらに、燃料製造機を作ってい るセベックという会社が協力してくれて、バイオディーゼル燃料を作っている日本中の人を紹介してもらった。燃料がなくなると、旅の先々で燃料を作る人に会 いに行き、激励され、燃料を分けていただくことができるようになったのだ。

それでも原因不明の、突然のエンジン停止がトンネルの中、工事中片側一車線の道路、カーブの真ん中など、絶対に止まりたくないと思うところで、幾度 となく起こった。誤解を招かないように説明すると、バイオディーゼル燃料でエンジンがとまることはないのだ。綺麗にすれば天ぷら油そのままで走る。それを 実証したくて、何度も、何度も試し続けたことと、燃料タンクを切り替え式にしたことによる配管が原因で止まるのだ。

それでも旅も終盤に入 り、帰りの東京ではとある研究者を紹介して頂き、“遠心分離機”という機械を紹介された。試してみると、今までのフィルター詰まりが嘘のように、バスは快 走しはじめたのだ。そんな多くの人の協力あって、全行程18,000kmの天ぷら油の旅は、無事達成することができたのだった。

なにか天ぷら油の苦労話ばかりになってしまったけれど、旅の生活は楽しいことだらけ。何よりも、毎朝知らないところで目を覚ますことが楽しい。海辺や公園にバスを停めることが多かったので、朝起きると散歩して、朝ごはん食べて、という生活の始まり。

2歳と5歳の子供は、公園の遊具をすべて乗らないと一日が始まらない。贅沢な子供生活だ。道中は湧き水を汲みに行くことを楽しみに、地図を広げたり、人に 聞いたりしながら進む。名勝地に寄ったり、波があれば、もちろんサーフィンしながらの旅。天ぷら油の匂いを撒き散らしながら、北海道を2週して種子島まで 帰ってきた。

一番の目的だった移動式映写会も全部で53回開催し、目標達成。多くの人に見てもらいたい。そんな思いで、人の家でも、海辺でも、サーフショップで も、バーでも、どこでもやらせてもらったのだった。友達も日本中に出来た。旅人に人は、本当に親切にしてくれるのだと実感した。そして、旅を終えて思うこ と。それは、また行きたい。という思いと、家族で喜怒哀楽をともにした半年間は本当に楽しかった、ということ。

旅のテーマを、8年間撮って きた自分の写真を見直して、波や水滴、虹や月に太陽など、まあるいものが多いことに気付いた。このことから、「まあるいものを見る旅」となった半年間。新 しく出来た友達、家族の笑顔が「まあるいもの」なのだと感じた旅だった。そして、旅から帰って、妻のお腹を見て驚いた。“まあるく”なっていたのです。旅 のお土産のまあるいものは、今ではもう摑まり立ちするほどに成長しているのでした。
おしまい。(久米満晴)