コラム

By Mitsuharu Kume

Driftwood

2009
Issue 27

冬の海辺は寒い。そんな中フー ドを被り、波打ち際を走ってみ る。やがて体が内側から温めら れ、自然界と自分との距離が縮 まって、心が研ぎ澄まされていく 感じがする。自分のレーダーが、 周りのもの全てに細かく向けら れ、五感とは別のレーダーがもう ひとつ作動し始める感じ。自分 の中にある野生本能が騒ぎ出し ているかのようだ。それに波の音 から受けるアルファ波は、心をリ ラックスした気分にさせてくれる というから、一種の落ち着き感も ある。まるで脳と心と体が、バラ ンスよく会話をしているかのよ うで心地いい。

そんな時、足元の流木を見て 思った。砂浜に流れ着く物は、それ ぞれがいろんな旅をしてきたの だろうな、と。

流木なら、どこかの山で春夏秋 冬を幾度も経験し、強い風を受け て折れ、大雨で水かさの増した川 に流され、長い間海を漂い、時に はカモメが休憩にとまったり、小 魚が木の陰に寄ってきたりしな がら、最後には波に弾かれ打ち上 げられた、という漂着物語がきっ とある。

そんな漂着物語が面白いのは、 自分以外の力によってある場所に 運ばれ、そこで新たに再スタート をきることもある、というところ。

例えば、とあるポケットビーチ の奥には、周りの樹木とは明らか に違う小さい椰子の木が、一本だ け傾きながら立っている。遥か南 の島から流れ着いた椰子の実が、 新しく生きる場所を見つけたの だろう。

他にも、海岸に流れ着いた、日 本には無いチーク材を家の梁に 使い、何十年も家を支え続け、今 も立派に仕事をしている、という 例もある。これは多分海外の木材 運搬船が時化で荷崩れを起こし、 漂流して流れ着いたものだろう。

そんな風に偶然が重なり、ある 場所に流れ着き、次の生活を送る こともある漂着物。見た目は、何 度も波に揉まれ、角が削れて丸く なって、味が出ている。

「上げ潮じゃ、上げ潮じゃ」( 物 事がいい方に向かうときに言う、 日本の古い言葉) 日本語には、心が尖っていた人 が温和になることを「角が削れて 丸くなる」という表現がある。 旅は漂流。日々変化する潮の 流れや風向きと同じように、何 か自分が興味を持つきっかけが あって、その時にやってきた自分 の思考の流れに乗って漂流する のが旅。

角が削れた温和な人間になりた いから、もっともっと漂流して、いろ んな所に流れ着きたいものだ。 「ザッ、ザッ、ザッ、ザッ…」

 砂に残っているはずの行きの足 跡は、潮が上げたことによって、波 に消されていた .