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コラム

Fitness

By Kazuko Ikeda

Stretching Your Limits

2009
Issue 31

オリンピック金メダルの意味

どの世界大会の金メダルと比べても絶対的に価値が異なるのが「オリンピックの金メダル」。ある金メダリストは「あの一つのメダルで人生が変わる」とも言っていた。

2006年2月のトリノオリンピック。悪天候とオリンピックの圧力に負け、本命達がタイムを伸ばせないなか、大回転種目で金メダルを手にしたのが伏兵だった21歳、アメリカのジュリア・モンクーソー。

表彰台にティアラをつけて、登場したジュリアはまさにシンデレラストーリーの主人公そのものだった

私とジュリアの出会いは2005年のハワイ。20歳のジュリアはまだあどけなく、静かにジムにやってきて、寡黙にトレーニングメニューをこなしていた。手足が長く、均整のとれた身体はかつて私の憧れた選手、オリンピック大回転種目3大会連続で金メダルを獲得したイタリアのデボラ・コンパニニョーニを思い出させた。アルペンスキーで世界トップ20までしか登り詰めることができなかった自分からすれば、トップ3の選手は自分にはない何かを持っているはずだと、興味をおおいにそそられた。パフォーマンス向上・機能回復のためにピラティスインストラクターをしている私としては、彼女との時間は格好の研究材料になるだろうと、2008シーズンから彼女のヨーロッパツアーへ帯同することにした。

大胆なパフォーマンスを見せるジュリアだが、本来はシャイで口数が少ない彼女から、故障の詳しい事情を聞き出し、それがどれほど深刻なのかを把握するのにかなりの時間を費やした。実はジュリアは2005年の春に股関節の手術を行っている。スキーでは膝の故障が多く、現在活躍中のスキー選手の多くがなんらかの膝の故障を克服している。ただ股関節はまれなケースであり、術後の経過など症例がほとんどない。選手は痛みや故障を我慢し練習、試合を続けることがあり、それが結果的に大きな問題になることがある。ジュリアの場合、それが2009シーズンだった。シーズン直前に腰痛が発生し、腰痛をかかえながらシーズンを迎えた。結果は惨敗。1月の中旬からはどうにもならない日々が続き、ゴールでは涙を流し続けるジュリアの肩を抱く試合が続いた。「ジュリアが泣く姿は初めて見るよ」とワールドカップのゴールで何年も仕事をするスタッフが教えてくれたことがある。ポジティブで、どんなことがあっても気持ちを切りかえて前に進む力のあるジュリアだが、当時の彼女にはその力さえなかった。スポンサー、関係者はオリンピック金メダルの名声に溺れたと期待することもなくなり、冷たい視線が注がれた。世界ランキングは大幅にさがり、オリンピックを翌年に迎えて、厳しい夏を迎えることになった。

3月のシーズンオフから数か月が経った5月末にジュリアとハワイで再会した。ユタ州にあるアメリカスキーチームのトレーニングセンターで体力測定を終えていたが、結果は過去数年で最低の数値だった。コーチ・トレーナー誰もが確認したかった数値であり、現実を受け入れて前に進む覚悟があったが、その結果に誰もが焦りを感じた。

次のスキーキャンプまでの時間は10週間。この10週間で健康を取り戻し、同時に強化する必要がある。当面の目標は8月と9月のスキーキャンプで質の高い滑走量を十分に蓄えられるだけの健康な身体と体力の獲得だ。

ジュリアがプログラムに取り込んだ内容は次の通り。
治療・トリートメント 週5日 
ピラティス 週3日
ジムでのトレーニング 週3日
自転車
ビーチ(砂地)でトレーニング  週1日
ウォーターアクティビティ

昨年は6月に南アフリカのキリマンジャロに登り、8月には北京オリンピックの会場でテレビの仕事をこなしていたが、今年はハワイのみ。ジュリアのコーチ、トレーナーも急遽ハワイ入りし、トレーニング内容を確認した。私は2ヶ月の間、ジムとビーチでのトレーニングに合流し共に汗を流した。体が癒され、筋肉に血液、細胞が流れ出し、大きくなると共に、脂肪が燃焼され身体が絞られていった。それとシンクロするように、ジュリアの「集中力」のレベルが確実に上がっていくのがわかった。慌ただしく動き回った去年から比べたら、この夏は静かな時間かもしれない。ライオンが静かに、しっかりと地に足をつけ、鋭い視線で獲物を狙うように、2010年2月に焦点を当てているかのように思えた。

今からでは遅すぎるのか、間に合うのか、それは誰にも分からない。できることは「今」に集中して「今」を歩むのみだ。

あの2006年のドラマチックな金メダルが彼女のスキー人生を狂わせたままにするのか、それとも誰よりも速いスピードで人生を駆け抜けるジュリアは、復活を成し遂げ、再び金メダルを手中にするのか。1998年長野オリンピックから12年。私にとっては12年目のチャレンジをバンクーバーで迎える。