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コラム

By Ryo Sumikawa

No One Can Set Foot on the ‘Real Gunkan Island’

2005
Issue 2

 そびえ立つ防波堤。夕方の光を浴びて黄色く染まったコンクリの塊。見ているだけで胸にズシリと重みを感じる。ただひたすら、すさまじい迫力。

 形が戦艦「土佐」に似ていたため、「軍艦島」と呼ばれる。正式名称は端島。東西160m、南北490mの空間に1960年代は5300人が住んでいた。東京の人口密度の約10倍。1915年、日本初の鉄筋コンクリート高層住宅が完成。7階建てだった。屋上菜園、屋上保育園も・った。産出する良質な石炭は八幡製鉄所に行き、日本の高度成長を支えた。この島は、近未来都市だった。

長崎港からも遊覧船が出ているが、私が今回利用したのは、野母崎からの小さな船だ。上陸はできないのかと尋ねてみると、説明役のおじさんは目線をそらし、口を閉ざした。しばらくして、こっそり耳打ちするように言った。

「釣り人は上陸しとるからね。どうしても行きたいっちゅう人は、釣り竿持って、釣り船に乗ればよかよ」

探検部員や、アート集団や、ミュージシャンなど、これまでにたくさんの人が上陸し、いろんな活動をしてきたと聞いた。しかしそれは手・かにまみれた「冒険」のような気がした。上陸を悲しむ元住民もいるとも聞いた。上陸することは自分にとって重要じゃなかった。それよりも、自分が知らない時代の熱気にちょっとでも触れたいと思っていた。

船長役のおじさんは、20代のころ炭坑労働者として軍艦島で働いていたという。仕事辛くなかったですか? と尋ねると、日焼けした顔をしわしわにして言うのだ。

「いや・、めちゃくちゃ楽しかったよ。給料もよかったし、今よりずっと勢い・った時代やけんね。休みの日には、長崎まで遊びにくりだしたもんよ」

銅座(長崎の有名な繁華街)ですか? 

「そう銅座」

と笑う笑いには、きっと何か秘密の想い出が隠されているのだ。私たちがどうがんばっても上陸することができない、ほんとうの軍艦島が。

住川亮 アウトドア雑誌『BE-PAL』編集に在籍するとともに、「毎日が旅だったらいいよね」をテーマにした旅雑誌『b*p』のボス猿として活躍中。

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 Photo by Munemasa Takahashi