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コラム

By Troll

Dancing Barefoot on the Beach

2006
Issue 13

子供の頃、音楽の世界に触れさせたいと思った親戚が、何を血迷ったのかウチをピアノ教室へ通わせることになった。その初日、幼いウチは教室の中にあった「メトロノーム」に興味を持ったのだが、気づいたらそれを壊していた。うら若き女学生であった教師は傷つき、泣いて部屋を出ていってしまった。そうしてウチは、あっけなく1日で教室を追い出された。

 友人の家に弦が切れて4本しかない古ぼけたギターがおいてあり、それを使って遊んだこともあった。ダブルベットの上にギターを寝かせ、爪の周りにセロテープをグルグル三角に巻き、ギターを琴のように弾いていた。指先から響く感触が面白くて「琴ごっこ」に夢中になっていた。マットレスに伝って尻から音の振動が響いてくるのだ。
そうそう、中学の時は「演歌」にハマっていた。歌のテンポがゆっくりで、わかりやすかった。日常で出逢うことのない歌詞にも惹かれていた。日本の風景と、日本人の恋愛観が表現されているような気がしたのだ。そんな世界が存在しているのか、と歌詞から想像が膨らんでいくばかり。

そんな思春期は去り、演歌から遠ざかっていたが、久しぶりに歌への気持ちの高揚を感じたのは小さな村の「祭り」であった。祭りの音楽の多くは太鼓を使用している。夏の盆踊りを始めとして、雪祭り、沖縄のエイサー、島の豊年祭などである。伝統的な踊りや音楽のリズムは長い歴史のなかの祈りであり、信仰である。だから太鼓による振動の響きだけでなく、感情が伝わってくるように思う。歌声が聞こえなくても「楽しそうな感じだな」とか「この部分は哀しいんだろうな」というようなものが伝わってくるのだ。踊りは目で聞き、歌は心で聞いて感じることが出来るように思う。
先日は、「砂浜で野外ライブがあるから」と誘われ行ってみた。始めは、行っても楽しめるかな? と不安だったが、すぐに去った。その場にいた皆が酔っ払いながら、踊っていて、リズムが身体に伝わってきた。そして、最後にバンドが手話と一緒に歌いだした。歌がリピートされ、気づくと、聞いていた誰もが手話を使いだした。

「ろう者なんです。手話を使ってくれ嬉しかった」

この西表のバンド「南ぬ風人まーちゃん」の演奏のあと、そう伝えたら、「ろう者がいることに気づいたので、それを最後に歌った」と、ボーカリストのマーチャンが言っていた。彼らの音を聞くことはできなかったが、裸足で踊った、あの砂の感触が忘れられない。